んだ私の里の祖父母は、よく夫婦|喧嘩《げんか》をして、そのたんびに、おばあさんが、でえじにしてくんな、とおじいさんに言い、私は子供心にもおかしくて、結婚してから夫にもその事を知らせて、二人で大笑いしたものでした。
私がその時それを言ったら、夫はやはり笑いましたが、しかし、すぐにまじめな顔になって、
「大事にしているつもりなんだがね。風にも当てず、大事にしているつもりなんだ。君は、本当にいいひとなんだ。つまらない事を気にかけず、ちゃんとプライドを持って、落ちついていなさいよ。僕はいつでも、君の事ばかり思っているんだ。その点に就《つ》いては、君は、どんなに自信を持っていても、持ちすぎるという事は無いんだ。」
といやにあらたまったみたいな、興ざめた事を言い出すので、私はひどく恰好《かっこう》が悪くなり、
「でも、あなた、お変りになったわよ。」
と顔を伏せて小声で言いました。
(私は、あなたに、いっそ思われていないほうが、あなたにきらわれ、憎まれていたほうが、かえって気持がさっぱりしてたすかるのです。私の事をそれほど思って下さりながら、他のひとを抱きしめているあなたの姿が、私を地獄につき落してしまうのです。
男のひとは、妻をいつも思っている事が道徳的だと感ちがいしているのではないでしょうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れないというのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのようでなければならない、とでも思い込んでいるのではないでしょうか。そうして、他のひとを愛しはじめると、妻の前で憂鬱《ゆううつ》な溜息などついて見せて、道徳の煩悶《はんもん》とかをはじめて、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻を全く忘れて、あっさり無心に愛してやって下さい。)
夫は、力無い声で笑い、
「変るもんか。変りやしないさ。ただもうこの頃は暑いんだ。暑くてかなわない。夏は、どうも、エキスキュウズ、ミイだ。」
とりつくしまも無いので、私も、少し笑い、
「にくいひと。」
と言って、夫をぶつ真似《まね》をして、さっと蚊帳から出て、私の部屋の蚊帳にはいり、長男と次女のあいだに「小」の字の形になって寝るのでした。
でも、私は、それだけでも夫に甘えて、話をして笑い合う事が
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