戦慄《せんりつ》した。私のこれまでの生涯に於て、日本の作家に天才を実感させられたのは、あとにも先にも、たったこの一度だけであった。
「おれは、勉強しだいでは、谷崎潤一郎には成れるけれども、井伏鱒二には成れない。」
私は、阿佐ヶ谷のピノチオという支那料理店で酔っ払い、友人に向かってそう云ったのを記憶している。
「青ヶ島大概記」が発表せられて間もなく、私が井伏さんのお宅へ遊びに行き、例によって将棋をさし、ふいと思い出したように井伏さんがおっしゃった。
「あのね。」
機嫌のよいお顔だった。
「何ですか。」
「あのね、谷崎潤一郎がね、僕の青ヶ島を賞めていたそうだ。佐藤(春夫)さんがそう云ってた。」
「うれしいですか。」
「うん。」
私には不満だった。
第三巻
この巻には、井伏さんの所謂円熟の、悠々たる筆致の作品三つを集めてみた。
どの作品に於ても、読者は、充分にたんのうできる筈である。
例によって、個々の作品の批評がましいことは避けて、こんども私自身の思い出を語るつもりである。
この巻の作品を、お読みになった人には、すぐにおわかりのことと思うが、井伏さんと下宿生活と
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