いうものの間には、非常な深い因縁があるように思われる。
青春、その実体はなんだか私にもわからないが、若い頃という言葉に言い直せば、多少はっきりして来るだろう。その、青春時代、或いは、若い頃、どんな雰囲気《ふんいき》の生活をして来たか、それに依って人間の生涯が、規定せられてしまうものの如く、思わせるのは、実に、井伏さんの下宿生活のにおいである。
井伏さんは、所謂「早稲田《わせだ》界隈《かいわい》」をきらいだと言っていらしたのを、私は聞いている。あのにおいから脱けなければダメだ、とも言っていらした。
けれども、井伏さんほど、そのにおいに哀しい愛着をお持ちになっていらっしゃる方を私は知らない。学生時代にボートの選手をしていたひとは、五十六十になっても、ボートを見ると、なつかしいという気持よりは、ぞっとするものらしいが、しかし、また、それこそ我知らず、食い入るように見つめているもののようである。
早稲田界隈。
下宿生活。
井伏さんの青春は、そこに於て浪費せられたかの如くに思われる。汝を愛し、汝を憎む。井伏さんの下宿生活に対する感情も、それに近いのではないかと考えられる。
いつか、
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