花も充分なる発達を遂げた。利休およびその流れをくんだ有名な織田有楽《おだうらく》、古田織部《ふるたおりべ》、光悦《こうえつ》、小堀遠州《こぼりえんしゅう》、片桐石州《かたぎりせきしゅう》らは新たな配合を作ろうとして互いに相競った。しかし茶人たちの花の尊崇は、ただ彼らの審美的儀式の一部をなしたに過ぎないのであって、それだけが独立して、別の儀式をなしてはいなかったという事を忘れてはならぬ。生花は茶室にある他の美術品と同様に、装飾の全配合に従属的なものであった。ゆえに石州は「雪が庭に積んでいる時は白い梅花を用いてはならぬ。」と規定した。「けばけばしい」花は無情にも茶室から遠ざけられた。茶人の生けた生花はその本来の目的の場所から取り去ればその趣旨を失うものである。と言うのは、その線やつり合いは特にその周囲のものとの配合を考えてくふうしてあるのであるから。
花を花だけのために崇拝する事は、十七世紀の中葉、花の宗匠が出るようになって起こったのである。そうなると茶室には関係なく、ただ花瓶《かびん》が課する法則のほかには全く法則がなくなった。新しい考案、新しい方法ができるようになって、これらから生ま
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