ければならぬ。花はそこに王位についた皇子のようにすわっている、そして客やお弟子《でし》たちは、その室に入るやまずこれに丁寧なおじぎをしてから始めて主人に挨拶《あいさつ》をする。生花の傑作を写した絵が素人《しろうと》のために出版せられている。この事に関する文献はかなり大部なものである。花が色あせると宗匠はねんごろにそれを川に流し、または丁寧に地中に埋める。その霊を弔って墓碑を建てる事さえもある。
花道の生まれたのは十五世紀で、茶の湯の起こったのと同時らしく思われる。わが国の伝説によると、始めて花を生けたのは昔の仏教徒であると言う。彼らは生物に対する限りなき心やりのあまり、暴風に散らされた花を集めて、それを水おけに入れたということである。足利義政《あしかがよしまさ》時代の大画家であり、鑑定家である相阿弥《そうあみ》は、初期における花道の大家の一人であったといわれている。茶人|珠光《しゅこう》はその門人であった。また絵画における狩野《かのう》家のように、花道の記録に有名な池の坊の家元|専能《せんのう》もこの人の門人であった。十六世紀の後半において、利休によって茶道が完成せられるとともに、生
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