かご》に閉じこめて、歌わせようとするのも同じではないか。蘭《らん》類が温室で、人工の熱によって息づまる思いをしながら、なつかしい南国の空を一目見たいとあてもなくあこがれているとだれが知っていよう。
花を理想的に愛する人は、破れた籬《まがき》の前に座して野菊と語った陶淵明《とうえんめい》や、たそがれに、西湖《せいこ》の梅花の間を逍遙《しょうよう》しながら、暗香浮動の趣に我れを忘れた林和靖《りんかせい》のごとく、花の生まれ故郷に花をたずねる人々である。周茂叔《しゅうもしゅく》は、彼の夢が蓮《はす》の花の夢と混ずるように、舟中に眠ったと伝えられている。この精神こそは奈良朝《ならちょう》で有名な光明皇后《こうみょうこうごう》のみ心《こころ》を動かしたものであって、「折りつればたぶさにけがるたてながら三世《みよ》の仏に花たてまつる(三二)。」とお詠《よ》みになった。
しかしあまりに感傷的になることはやめよう。奢《おご》る事をいっそういましめて、もっと壮大な気持ちになろうではないか。老子いわく「天地不仁(三三)。」弘法大師《こうぼうだいし》いわく「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に
前へ
次へ
全102ページ中81ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
村岡 博 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング