してその犠牲に対しては報酬なしではなかった。この舞は現今でも必ず東京の観客の涙を誘うものである。
か弱い花を保護するためには、非常な警戒をしたものであった。唐の玄宗《げんそう》皇帝は、鳥を近づけないために花園の樹枝に小さい金の鈴をかけておいた。春の日に宮廷の楽人を率いていで、美しい音楽で花を喜ばせたのも彼であった。わが国のアーサー王物語の主人公ともいうべき、義経《よしつね》の書いたものだという伝説のある、奇妙な高札が日本のある寺院(須磨寺《すまでら》)に現存している。それはある不思議な梅の木を保護するために掲げられた掲示であって、尚武《しょうぶ》時代のすごいおかしみをもってわれらの心に訴える。梅花の美しさを述べた後「一枝を伐《き》らば一指を剪《き》るべし。」という文が書いてある。花をむやみに切り捨てたり、美術品をばだいなしにする者どもに対しては、今日においてもこういう法律が願わくは実施せられよかしと思う。
しかし鉢植《はちう》えの花の場合でさえ、人間の勝手気ままな事が感ぜられる気がする。何ゆえに花をそのふるさとから連れ出して、知らぬ他郷に咲かせようとするのであるか。それは小鳥を籠《
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