り、ジャンと来なきゃァいいが」なぞと言う晩には妙に神経も昂ってきて、器物の音にも耳を聳てる。
されば向島の秋葉様は十月の十七、十八という、そろそろ人の懼気《おじけ》づく頃に例年の大祭を執行し、火防の御幣を広く参詣の人々に頒つこと、考えれば抜け目のないことである。
しかしながら半鐘の音という奴、いつ聞いても余り気味のいいものでなく、正月の消防出初式に打つのでも、それと知りつつ妙に気が噪いでくる。江戸ッ児の好くのはただこの興奮一つからで、火事場の弥次馬も全く噪ッ気からとはさもそうずさもあるべきである。
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納豆と朝湯
霜のあしたを黎明から呼び歩いて、「納豆ゥ納豆、味噌豆やァ味噌豆、納豆なっとう納豆ッ」と、都の大路小路にその声を聞く時、江戸ッ児には如何なことにもそを炊きたての飯にと思立ってはそのままにやり過ごせず、「オウ、一つくんねえ」と藁づとから取出すやつを、小皿に盛らして掻きたての辛子、「先ず有難え」と漸く安心して寝衣のままに咬《くわ》え楊枝で朝風呂に出かけ、番頭を促して湯槽の板幾枚をめくらせ、ピリリと来るのをジッと我慢して、「番ッさん、ぬるいぜ!」、なぞは何
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