−15−18]笑の間に和楽して終るが多い。
二日は初湯、初荷、買初、弾初、初夢など江戸ッ児にとっては事多き日である。殊にお宝お宝の絵紙を買って、波乗り船のゆたかな夢を探《たず》ぬるかれらは、遂に憧憬の児たらずとせんや。吾儕はそれが絵の如き美しさと快さとを絶えず夢みて、ここに不断の詩趣を味いつつあるのだ。
三日には大方の廻礼もおわり、浮世の義理をはなれた仲よし気よしのザックバランな酒盛り、江戸ッ児の特色は一に全く個中に存するを見るべくして、これやがてその本領なのである。もしそれ夜に入っての歌留多《カルタ》遊びに至っては花の色の移ろうを知らざる若き男おんなの罪のない争い、やがてはそれも罪つくるよすがにとはなるべきも、当座はただ慾も苦もない華やかなさざめき、かくてぞ喜びをまつの内はあわただしく過ぎて、七日のまだき、澄みきった旦《あさ》の空気に高々と響き亘る薺打《なずなう》ちの音、「七草なずな、唐土の鶏が、日本の土地に、渡らぬ先に、ストトントン」と彼方からも此方からも聞え初めると、昨日までの門松も飾藁も名残なく取去られて、浮世は元の姿にかえるも淋しい。しかし江戸ッ児には二十日正月までの物日
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