独り自ら娯しむ。所以を訊ぬれば曰く、「いえね、雨が降ると植木が喜びますんでね、これを見るのが嬉しゅうがすて!」
かれはまた絵画を好む、往々上野の展覧会場に半日の清閑を楽しんで、その憧憬を恣にすることは必ずしも稀らしくない。しかしかれは文盲だ、眼に一丁字なく、耳に一章句を解せぬが、しかもよく大義名分を弁え、日露の役には区民に率先して五十円を献金し、某の侯爵に隣してその姓名を掲げられたが、実は侯爵よりも数日を先んじて報公の志をつくしたのであったそうな。
吾が江戸ッ児には如此《かくのごとき》好漢今に幾千かを数え得る。但し、この自然児は長脇差の裔で、祖父も父も江戸に名高い顔役の一人であったとやら……。
けれどもかれはその後を継ぐに潔からざった。維新後父の死歿を機として遺産のすべてを乾児《こぶん》どもに頒ち、「己はこんな金で気楽に暮らすことなんざァ金輪際嫌えだ。こりゃァ残らず手めえッちょに与《く》れてやらァ。だがよ、後生だから真人間になってくれ、え、真人間に! こんなことをいつまでかしてえちゃァ天道様の罰があたるぜ」――この言の如くかれは鐚《びた》一文親の金には手をつけず、家財までもそのま
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