明神が本祭りなら山王が陰祭りと、否応なしにされてしまって、大きな喧嘩だけはなくなったが、山王の本祭りに山車が幾台出て、赤坂芸者が奴姿で繰出したとあれば、神田明神の本祭りには山車の数を何台増して獅子舞を出すとか、手古舞に出るとか、こればかりは維新後の四十年来、今に江戸からの競いを捨てず、近年また電車の通る中を山車も曳き出せば、縮緬の揃い衣を奮発するなぞ、大分昔に盛りかえしてきたもおかしい。
 されば祭りになけなしの身代傾けて、あすが日からは三度の食事にも差支ゆる者、今でも時々に聞くことで、深川八幡の祭礼に永代の橋が墜ちて人死にが出来たほどな、往時の賑盛はなくとも、いまだに大したもので、木場を扣《ひか》えているだけにすることがまた格別だ。――但し、日枝神社の祭礼が前にいった六月十五日で、一[#(ト)]月飛んだ八月十五日が深川八幡、その翌月の九月十五日が神田明神という順序で、余なるは住吉神社の祭礼に神輿の海中渡御があるのと、三社の祭りに花川戸の兄哥たちが、自慢の神輿を吉原五花街へ担ぎ込むのとが、一風変ったおかしみがある。
 凡そ江戸ッ児として、大若小若の万灯、樽天王を見て気勢《きお》わぬもの
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