たなしともまたなし。
 趣味の江戸ッ児はかくして常にこの唄にそそられ、建前のここかしこ、もしは祭りの日、物の催しの砌《みぎり》など、折りおりにこれを聞いては盃の数もめぐる。
「めでためでた」の本唄はさらなり、「不二の白雪や旭で解ける――」の木やりくずしまで、唄の数は二十幾つにも及ぶが節は元よりたった一つ、多少の崩れは三味線に合わすとてのそれ者が振舞い、そこにいずれはないでもないが、吾儕の心を誘《そそ》りゆいて、趣味の巷にこれ三昧の他事なきに至らしむる、また以て忘機の具となすに足るべきではあるまいか。
 蘇子、白居易が雅懐も、倶利迦羅紋紋の兄哥《あにい》が風流も詮ずるところは同じ境地、忘我の途に踏み入って煩襟を滌うを得ば庶幾《しょき》は已に何も叶うたのである。
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 浅草趣味
 浅草趣味は老若男女貴賤のいずれとも一致する、したがって種々に解釈され、様々に説明される。
 少年少女の眼には仲見世と奥山と六区とにかれらの趣味を探ぬべく、すなわち彼処にはおもちゃ屋と花やしきと見世物とがある。青年男女には粂の平内と六地蔵と観音裏とにその趣味を見出すべく、すなわち其処には願がけの 
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