易にゆりなかったを、番頭、手代、親戚、縁者の詫び言で、漸《ようよ》う元の若旦那に立ちかえる。しかしそれでも初夏の朝々にこの声を耳にしては、心自ら浮き浮きして、凝乎《じっ》としていられぬとは馬鹿にしたもうな、江戸ッ児にはありがちのことだ。
 但し、この苗売りというもの、商いの苗よりは咽喉が肝腎で、中には随分この若旦那のようながあり、売上の高も節の上手が一番だとは、どこまでも面白き生業の一つである。
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 木やり唄



 揃いの法被《はっぴ》に揃いの手拭、向鉢巻に気勢いを見せて、鳶頭、大工二十人、三十人、互いに自慢の咽喉を今日ぞとばかり、音頭取りの一[#(ト)]くさりを唄い終るかおわらぬに一斉の高調子、「めでためでたの若松様よ、枝も栄える、葉も繁る――」と唄い初め唄いおさむる建前のあした、都の空にこの唄声の漸く拡ごり行けば、万丈の紅塵一時に鎮まりかえって、払いたまえともうす棟梁の上なる神幣、そよ風に翻って千代の栄えを徴すとかや。
 実に木やり唄は江戸趣味のこれも一つよ。祭りの巷に男姿の芸者数多、揃い衣の片肌脱ぎになって、この唄につれ獅子頭曳くも趣は同じく、折柄の気勢いにはま
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