国はいつも熱狂の巷となるのである。
 さりながら、相撲道にも大分二一天作の五が十になる鼠算が流行って来て、折角の青天井になお一つ天井が出来、掛小屋が常設館という厳めしいものになって、場所以外にはチャリネの競馬もあれば、菊人形もここで見せるという、どこまでも勘定高い世の風潮につれてしまったが、江戸ッ児にはこの一事のみは心から口惜しく遺憾千万である。
 元来が裸一貫の力ずくでやる勝負の見物に、屋根も天井もいったものかは、青空を頭に戴いて小屋も土俵も場所場所に新しくものしてこそ、六根清浄、先祖の宿禰《すくね》にも背かぬというもの、こうなっては行く行く相撲は江戸ッ児の見るものでなくなるかも知れないと、そんじょそこらの勇み肌が中ッ腹でいるそうな。
 実際情ないは小屋ばかりでなく、協会と取的とのゴタゴタ、賦金がどうの、親方がこうのと、宵越しの銭を持たねえ江戸ッ児が見るものにそんな吝《しみった》れたものは大嫌い、よして貰いてえものだ。
 それからなお一つ、近頃の相撲好きは贔負からの入れ力ではなく、可哀相にかれらの勝負を賭けごとの道具にしておる、まさかに江戸ッ児はそんなこともしめえが、するやつがあった
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