し、この躑躅大方は日比谷へ移されて若樹のみとはなったが、土地が土地だけに育ちもよく、今に名所の称を失わぬ。別けても嬉しいのは例の人形細工がなくなったことで、あんなことは江戸ッ児の弱点につけ入って何者かが始め出した一種の悪戯に由来すると思う。
 牡丹は本所の四ツ目、麻布の仙花園なぞ共に指を屈すべく、花の富貴なるを愛すといいし唐人の心持ちを受けついでの物真似ではないが、芍薬の徒に艷なるより、どことなく取りすましたその姿に実は惚れたまでのことである。ただそれ惚れたまでのことである。もしそれ九谷焼の大瓶に仰山らしく活け込んで、コケおどかしをしようなぞの了見に至ってはさらさらなく、寧ろそは一輪二輪の少きを小《ささ》やかな粗瓶に投げざしせるに吾儕は趣あるをおもうものであるのだ。
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 初松魚



 鎌倉を活きて出でけん初松魚《はつがつお》の魚河岸についたとあれば、棒手ふりまでが気勢いにきおって、勇み肌の胸もはだけたまま、向鉢巻の景気よく、宙を飛んで市中を呼び歩く。
 声にそそられて昨日うけたばかりの袷をまた典じ来て夕餉の膳を賑わすほどの者、今日も江戸ッ児は昔に変らぬのが、さても情な
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