吃驚《びっくり》せしめた例もある。かれらは邦人がこの筍を料理して喰うを見、「日本人は竹を喰う」とて内々舌を捲いたとやら、江戸ッ児には又この西人を驚かしたというそれが、いとも愉快に胸すくことで、実は内々嬉しくてたまらぬのである。
要するに筍の料理、これ一色でも会席は出来ることで、何も目黒くんだりまでゆかずともではあるが、ここの土に育ったが最良とせらるるその本場へ、態々歩を運ぶという気分、人はこの気分に生きたいものだ。
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藤と躑躅と牡丹
梅に始まって桃、桜と花の眺め多きが中に、藤と躑躅と牡丹とは春の殿《しんがり》をなし、江戸ッ児にはなお遊ぶべき時と処とに乏しくない。
藤は遠く粕壁に赴けば花も木ぶりもよいが、近くは日比谷、芝、浅草の公園など数も少からず、しかし何処よりも先ず亀戸天神のを最とする。
ここの藤、三、五年この方は花も少く、房も短くはなったが、なお且つ冠たるを得べく、殊に名物の葛餅、よそでは喰べられぬ砂糖加減である。お土産の張子の虎や眼なし達磨、これも強ち御信心がらでないのが味なところだ。
躑躅も日比谷、清水谷とそれぞれに名はあるが、大久保なるを最と
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