元の味いはなく、虎屋のドラ焼きも再び世には出たが、火加減にまれ附味の按配にまれ、ガラリ変って名代というばかり。塩瀬、青柳、新杵の如きも徒に新菓のみを工夫して、時人の口に諂《おもね》り、一般が広告で売ろうなどとはさても悪い了見を出したものだ。
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渡し船
「おッこちが出来てわたしが嫌になり」さて霊岸島から深川への永代橋が架って以来名物の渡し一つ隅田川にその数を減じたが、代りに新しく月島の渡し、かちどきの渡しなぞふえて、佃にも同じ渡しの行きかうを見るようになった。
しかし、隅田の渡しで古いのは浜町三丁目から向河岸への安宅の渡し、矢の倉と一ノ橋際間の千歳の渡し、須賀町から横網への御蔵の渡し、待乳山《まつちやま》下から向島への竹屋の渡し、橋場、寺島村間の白髭の渡し、橋場、隅田村間の水神の渡し、南千住から綾瀬への汐入りの渡しなぞで、その最も古い歴史を有すのは竹屋の渡しだ。
この渡し、元は待乳の渡しといったものなのを、いつの頃からか竹屋という船宿の屋号がその通り名となり、百五十年来の名所に二つの呼び名を冠するに至ったのだ。
花の向島に人の出盛る頃は更にも言わず、春夏秋冬
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