、代地の安宅の松、葭町《よしちょう》の毛抜鮨とか、京橋の奴や緑鮨、数え立てたら芝にも神田にも名物は五ヶ所七ヶ処では利かないが、何といっても魚河岸のうの丸にとどめを差す。
凡そ鮪の土手を分厚の短冊におろして、伊豆のツンとくるやつを孕《はら》ませ、握りたてのまだ手の温味《ぬくみ》が失せぬほどのを口にする旨さは、天下これに上こす類はないのだ。
そこへゆくと与兵衛鮨は甘味が勝ち過ぎ、松ずしは他の料理に心をおくようになって、頓と元ほどの味なく、毛抜鮨も笹の葉と共に大分お粗末になって、その他のはお談《はなし》にならず、ただ名のみを今も昔のままに看板だけで通している為体《ていたらく》、して見ると食道楽の数も大分減ったのが判るようだ。
甘いものは餅菓子に指を屈して汁粉、餡ころにも及ぶべく、栄太楼の甘納豆、藤村の羊羹、紅谷の鹿の子、岡野の饅頭と一々は数え切れず、それでもこれらの店には今も家伝の名物だけは味を守って、老舗の估券《こけん》をおとすまいとしているが、梅園の汁粉に砂糖の味のむきだしになったを驚き、言問団子に小豆の裏漉しの不充分を嘆《かこ》つようになっては、駒形の桃太郎団子、外神田の太々餅も
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