はあるまいが大方尠うなった。
 それ江戸ッ児の気勢いは御祭り騒ぎにしくものなく、妙法蓮華経の功力心願、それもこれも団扇太鼓の音、大万灯の賑わいに誘われてのこと、とばかりでは一向有難味も薄うなる勘定だが、案外に江戸ッ児は正直なところもあって、堂に詣って数珠爪繰る時には、一[#(ト)]通りの敬虔と尊崇と帰依とを有し、南無妙法蓮華経の唱名も殊勝である。
 但し往くさ来るさの講中の気勢、団扇太鼓の拍子どりして歩む時には、ただそれ無我夢中で、遠い路が苦になるでもない。
 殊におかしいは他宗他門の人々、このお会式にも見物を怠らず、本門寺への沿道はかかる群にも賑わって、さて本堂前の賽銭箱には、同じく喜捨のお鳥目を吝《おし》まず、搗《かて》て加えては真宗の人も、浄土の人も、真言、天台、禅、曹洞、諸宗の信徒悉く合掌礼拝、一応の崇敬をば忽《ゆるが》せにせず、帰りには名物の煎餅、枝柿の家苞《いえづと》も約束ごとのように誰れも忘れてゆかぬこそ面白い。
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 菊と紅葉



 菊は赤坂御苑なるを最とし、輪も大きく類も多いが、一般衆庶の拝観をゆるされず、したがって上下貴賤の区別なく、誰をでも千客万来、木戸銭取って自由に見せるのは相も変らず団子坂。今も活人形の大道具大仕掛けに、近年は電気応用という至極手数のかかった甘いことが流行り出して、一幹千輪の珍花よりも、舞鶴、千代の里、白楽天などの銘花よりも、歌舞伎好みが百人向きで、染井の植木屋が折角の骨おりも何の役に立たず、花の君子なるものと賞された菊も、徒に瓦礫の間に余生を送る姿、なんぼう口惜しい限りだろうか。
 紅葉は吹上御苑の霜錦亭より眺むるもの、大江戸以来随一とせられておるが、これとても一般の拝観は思いもよらず、次いで新宿の御苑、赤坂の離宮なるも色渥丹の如く頗る賞すべきか。その他では麹町の山王、靖国神社、小石川の後楽園、芝の山内などで、その余に人々のゆくとしてゆくのは王子の滝の川最も近く、品川の海晏寺なるは温暖の南を受けて至極よさそうだが、存外に色づきが遅い。
 しかし紅葉は如何なことにも負けおしみして力んではいられず、塵埃に汚れたドス黯いのを見ようよりは遠く秩父の渓間か、高雄山にこれを探るによろしく、これだけは大自慢の江戸ッ児全体が夙《はや》くから遺憾としておるところだ。
 かくいう某も実はその残念におもう一人で、京の女にはさのみも驚かなんだが、紅葉だけは何故ああした美しい色に出ぬのかと、熟々《つくづく》いやになってしまった。学者に言わしたら恐らくは気候の工合、水蒸気の加減にもよるべく、更には紅塵の多少、地味の如何にも関係すると鬚髯を撫してただ微笑するのみだろう。
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 酉の市



 酉の市は取りの市、掃き米はき込めの慾の皮がつッ張った連中の、年々の福を祝うてウンと金が儲かるようと、それさに肩摩|轂撃《こくげき》、押すなおすなの雑沓を現ずるのだが、何がさて、大慾は無慾に近く、とりにゆくのはとられにゆくので、鷲《おおとり》神社には初穂をとられ、熊手屋には見すみす高いものを負けろとあっては縁起にかかわるので、景気よくシャンシャンシャンと手を打たれて、まるでただとりされるような金をとられ、場所が吉原田圃で太郎稲荷にも近ければ、狐ただとりは千本桜にも因みがあり、その千本が縁起だと嬉しがる手合いも尠からず、罪のないことこの上ない。
 こうして帰るさは吉原病院の非常門から花の江戸町、京町や柳桜の仲の町、いつか物いう花のチリツテシャン、呑めや唄えの大陽気に、財布の紐も心と共に解けはてて、掻き込めかきこめの鷲掴み、とうとう一文なしに掴みどりされて、気がついた時にはお預りの熊手一つ、お近い中にと親切そうに言われて、二の酉に裏をかえす連中、これでも慾の皮がつッ張っているのかと思うと可笑くておかしくてならない。
 されば酉の市は先様がとりの市、こっちはとられまちで、どの道金に縁の薄い江戸ッ児には、宵越しをさせたくもこの始末なので及びもつかぬこと、それでも一かどの福運を得る気で、眼前とられにゆくを甘んずるなどはとうてい江戸ッ児以外の人には馬鹿気切ってて嘘にも真似の出来たものではない。
 殊には熊手の腹に阿多福のシンボル、そもそも誰が思いついての売りはじめやら、勿体らしく店々の入口、さては神棚の一部に飾られたこれら江戸ッ児の象徴を見る時は、情ないよりは寧ろその稚気を愛すべきだ。
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 鍋焼饂飩と稲荷鮨



 霜夜の鐘の凍るばかりに音冴えて、都の巷に人影のいよいよ疎なる時、折々の按摩が流しの笛につれて、遠くより聞え来るもの、「鍋焼ァき饂飩※[#小書き片仮名ン、198−4]、え饂飩やァい――」と、「稲荷ァりさん、え、いなァりさん――」の声なるべし。
 もしそれこの合の手として犬の遠吠えを加
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