しむる口に芳脂の舌ざわり快く、歯に何の骨折り一つさせぬようなを殊に好しとしてある。さるは江戸ッ児の産湯する多摩川の水に産するを随一とし、秩父の渓流に育つも味は劣れりというではないが、多摩川のに比して骨の硬いが難だ。国府津ものは酒匂川にとれるを一番の上味とし、山北の鮎鮨で東海道を上下するほどの人々は予て馴染だが、これとても骨は硬い。
 畢竟若鮎の走りを賞すること、たとえばピンとはねて瀬をも流れをも溯るべく、兼ねては水の清冽なるを愛して、濁りに棲まぬその性にある。
 余の人々は如何あろうか、吾儕元よりその意を知らず、ただ江戸ッ児に至っては、ひたぶるにその性を愛して自ら彼の清きにおらんとするからである。
 さるにても近頃の多摩川漁夫、或は密漁を企て、生洲飼いをなし、客を見て獲物の多寡を加減するなぞ、江戸ッ児には癪にさわることばかり、これでは折角の鮎が估券を堕しはせぬかと、そんじょそこらの兄哥がいい心配をしておる。
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 縁日と露店



 縁日趣味、露店趣味は江戸ッ児にして初めてこれを完全に解し得るもの。月の三十日が間、唯の一日都大路の何処にも縁日がないという晩はなく、苟《いやしく》も天気模様さえよければ、からッ風の吹く寒い夜でも、植木屋が出て、飴屋が出て、玩具屋が出て、そして金物屋、小間物屋、絵草紙屋、煎豆屋、おでん屋、毛革屋、帽子襟巻手袋屋、金花糖屋、更に夏なれば虫屋、風鈴屋、簾屋、茣蓙屋、氷屋、甘酒やなど、路の両側に櫛比して店を拡げ、区劃を限って車止めの立札の植《た》てられる頃より、人出は夜と共に弥《いや》増しに増して、競り屋の男は冬でもシャツ一枚の片肌脱ぎ、「さッこれいくら……」と吾れから値を促し問うて、良時は悪口の言いあい、江戸ッ児はこんなことが面白くてただ他愛もなく、「五銭――十銭――二十銭――しょんべん――」なぞと混ぜかえせば、「貧乏人は黙ってすッこんでろ!」と今にも喧嘩が始まりそう。こんなことで夜の十一時頃までにかなりの商いしてのけるとは存外なものだ。
 露店趣味は縁日の以外にもこれを捜ぬるを得べく、上野、浅草の広小路、銀座南北の大通りを東側の人道なぞ、ここには一年三百六十五日、雨の日と風の強い日をさえ除けば、大方の縁日の二つがけ三つがけの出店、殊に夏の涼み時と冬の師走月とは客足も繁くして、露店の数も多きを加え、耳を病みて詰薬した爺さん、眼を
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