さあれ人間が手づくりの虫は命も短く、地体が達者でもないために、うかと水でもかけてやろうものなら、即得往生、新しくやった胡瓜の半ばをもつくさで諸足縮めて固くなっておるに、吾れ人ともに無常を感ぜざるを得ぬ。
かくて野生の虫、近郊に鳴きすだく頃には、人工の虫は元の古巣に、蟄竜の嘆を恣にする。さても有為転変の世のこれも是非なき一つであろうか。
有為転変といえば、今は野に鳴く虫も態々ゆいて聞く人尠く、したがって虫択みなどいう娯しみは、いつか廃れ果てて、江戸ッ児にも風雅心は薄らぎ、縁日の露店に屑虫を売りつけられてただ安かったのを喜ぶ、実は少々情なくてならぬ。
されば詩経の草木、万葉の草木なんど、菊塢翁の昔から凝りやをうりものの、向島百花園、三、五年この方、吉例を再興して虫放ちの催しをなし、残された江戸趣味の普及をとて同好を語らい招く。当夜に来合したほどの人に話せねえ手合は一人もないが、殊に嬉しいは同趣味の人々聞き伝え、語りあわして、それからそれへと来衆の数をますことで、さてこうなって見ると案外に話せる御仁もまだ大分世にはござると、園の老主人ではないが、大いに人意を強うした。
河鹿は縁日もの、振り売りの手合いからは決して買わぬもの、これも三歳以下なはまだ籠なれずして鳴きも歌わず、どうかすると姿ばかりがよく似た蛙めを掴まされることさえある。
飼うには素人にも骨が折れず、生き虫と時々の新しき水を怠らねば誰れにもそそうはなく、鳴きも然るべき鳥屋が売ったのなら請合いである。
行いて聞くには汐入の渡しを綾瀬の流れに入って、溯ることしばし、そこに月影の砕くる瀬ありて、彼の愛すべき声を賞すべし。半宵船をもやいて、ここらあたりに月と河鹿を賞するの風雅人、果して都に幾たりを算え得ることであろうか。
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走り鮎
鮎は当歳の走りを別して賞美する事、必ずしも江戸ッ児ならずともだが、今では蕃殖を保護するというので、七月十五日までは禁漁とあり、旁名物の多摩川ものはそれ以後でなくば魚河岸にも現れず、二子に赴いても網一つ打つことならねば、江戸ッ児には酷い辛抱ながら、解禁の日よりは河岸にも籠をつむことあり、それまで幅を利かしていた秩父もの、国府津ものなど、漸く片隅に退けられて、これより一しきり、鮎は多摩川に限らるるもおかしい。
凡そ鮎の真味は、その肉よりも骨にあるので、噛み
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