国はいつも熱狂の巷となるのである。
さりながら、相撲道にも大分二一天作の五が十になる鼠算が流行って来て、折角の青天井になお一つ天井が出来、掛小屋が常設館という厳めしいものになって、場所以外にはチャリネの競馬もあれば、菊人形もここで見せるという、どこまでも勘定高い世の風潮につれてしまったが、江戸ッ児にはこの一事のみは心から口惜しく遺憾千万である。
元来が裸一貫の力ずくでやる勝負の見物に、屋根も天井もいったものかは、青空を頭に戴いて小屋も土俵も場所場所に新しくものしてこそ、六根清浄、先祖の宿禰《すくね》にも背かぬというもの、こうなっては行く行く相撲は江戸ッ児の見るものでなくなるかも知れないと、そんじょそこらの勇み肌が中ッ腹でいるそうな。
実際情ないは小屋ばかりでなく、協会と取的とのゴタゴタ、賦金がどうの、親方がこうのと、宵越しの銭を持たねえ江戸ッ児が見るものにそんな吝《しみった》れたものは大嫌い、よして貰いてえものだ。
それからなお一つ、近頃の相撲好きは贔負からの入れ力ではなく、可哀相にかれらの勝負を賭けごとの道具にしておる、まさかに江戸ッ児はそんなこともしめえが、するやつがあったら己が聴かねえと、倶利迦羅紋紋の兄哥《あにい》が力んでいた。
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花菖蒲
菖蒲は堀切と蒲田にその名を恣にし、花に往き来した向島の堤をまたぞろ歩むもおかしき心地がする。
堀切も吉野園、小高園など、今も花の種類はかなりにあるが、花より団子の喰う物なければ治まらぬ都人士の、なけなしの懐を気にしながらも、次第に種々な贅をいうので、粗末なものを値ばかり高めて売りつけ、客を馬鹿にした振舞尠からず、したがって江戸ッ児は少々二の足を踏むようになり、つまらねえやと鼻もひっかけなくなった連中すらある。
こうなっては折角の花菖蒲も散々で、人は園内の切花を高い銭出して買うのが嫌さに、帰り路の小流れのほとり、百姓の児どもなぞが一把三銭の五銭のと客を見て吹ッかけるやつを、また更に値切りたおして、隣近所へまでのお土産、これで留守して貰った返礼をもすますようになって江戸以来の名所も台なしにされた形である。
蒲田にはそうした情なさはないが、ここはまた横浜に近いだけ外人を目あてに好みも自らその方に傾けば、これとて江戸ッ児には興のぼらず、一層その位なら西洋草花を賞美した方がとは、満更皮肉な言い
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