れて少しポカつく日には額より汗の珠、拭いもあえねば釣りする人の襟元に折りおり落つるのを彼も此も知らず気づかず。魚を逸して畜生と舌打ちすれば、それにも合槌して、やがてのこと竿を捲きはじむるに、初めて用達しのすまずにいたを思出し、慌てて駆出す連中決して稀らしくない。個中の消息、かれらの別天地に遊んだものでなくばとうてい味えも判りもせぬこと。網は昔より近頃の流行《はや》りだが、趣味は遠く釣りに及ばぬ。
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初袷
袷着て吾が女房の何とやら、綿入れの重きを脱ぎすてて初袷に着代えた当座、洵《まこと》や古き妻にも眼の注がるるものである。
江戸ッ児の趣味は素肌に素袷、素足に薄手の駒下駄ひっかけた小意気なところにあって存するので、近頃のシャツとか肌着とかは寧ろこの趣味を没却するものである。
されど若き女のネルなぞ着たのは、肌つきもよく、新しき時代のものとしては江戸趣味に伴える一つである。
絹セルに至っては少しイカツくて、セルのやわやわしいに若かぬが、それとて今どきの衣類にてはよき一つとや言わんか。何はしかれ女は身重なると綿入れ着たるとはいとど惨めに浅ましく、袷より単衣のころ最も美しく懐かしきものだ。
男の素袷に兵児帯《へこおび》無雑作に巻いたも悪からず、昔男の業平《なりひら》にはこうした姿も出来なかったろうが、かきつばたのひんなりなりとした様は、なおかつ江戸ッ児の素袷着たるにも類すべく、朝湯で磨いた綺麗な肌を、無遠慮に寛ろげて、取繕わぬところにかれらの身上はある、洒々落々たる気分は、どうしてもこうした間に潜むもので、吾儕の身に纏う衣類のすべてを通じて、袷ほど江戸ッ児に相応しいものはまたとなかろう。
ただ恨むらくはこの袷というもの、着るべき間のはなはだ長からで、幾許もなくして単衣と代る、是非なしとはいえ江戸ッ児には本意なしとも本意ない。
遮莫《さもあらばあれ》、物に執着するはかれらの最も潔しとせぬところ、さればぞ初袷の二日三日を一年の栄えとして、さて遂には裸一貫の気安い夏をも送るのである。
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五月場所
櫓太鼓の音、都の朝の静けさを破って、本場所の景気を添ゆれば、晴天十日江戸ッ児の心勇んで、誰しも回向院に魂の馳せぬはない。
本場所も、一月よりは五月場所の方力瘤も入って、自ら気勢いもつくが定で、こればかりは今も昔に譲らず、向両
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