丸《たま》に向い工合《ぐあい》、それのみを気にして、さて乗出《のりだ》して弥《いよいよ》弾丸《たま》の的となったのだ。
 それからの此始末。ええええ馬鹿め! 己《おれ》は馬鹿だったが、此不幸なる埃及《エジプト》の百姓(埃及軍《エジプトぐん》の服を着けておったが)、この百姓になると、これはまた一段と罪が無かろう。鮨《すし》でも漬《つ》けたように船に詰込れて君士但丁堡《コンスタンチノープル》へ送付られるまでは、露西亜《ロシヤ》の事もバルガリヤの事も唯噂にも聞いたことなく、唯行けと云われたから来たのだ。若《も》しも厭《いや》の何のと云おうものなら、笞《しもと》の[#「笞《しもと》の」は底本では「苔《しもと》の」]憂目《うきめ》を見るは愚かなこと、いずれかのパシャのピストルの弾を喰《く》おうも知れぬところだ。スタンブールから此ルシチウクまで長い辛い行軍をして来て、我軍の攻撃に遭《あ》って防戦したのであろうが、味方は名に負う猪武者《いのししむしゃ》、英吉利《イギリス》仕込《しこみ》のパテント付《づき》のピーボヂーにもマルチニーにも怯《びく》ともせず、前へ前へと進むから、始て怖気付《おじけづ》いて遁《に》げようとするところを、誰家《どこ》のか小男、平生《つね》なら持合せの黒い拳固《げんこ》一撃《ひとうち》でツイ埒《らち》が明きそうな小男が飛で来て、銃劒|翳《かざ》して胸板へグサと。
 何の罪も咎《とが》も無いではないか?
 おれも亦同じ事。殺しはしたけれど、何の罪がある? 何の報いで咽喉《のど》の焦付《こげつ》きそうなこの渇《かわ》き? 渇《かわ》く! 渇《かわ》くとは如何《どん》なものか、御存じですかい? ルーマニヤを通る時は、百何十度という恐ろしい熱天に毎日十里|宛《ずつ》行軍したッけが、其時でさえ斯うはなかった。ああ誰《たれ》ぞ来て呉れれば好《い》いがな。
 しめた! この男のこの大きな吸筒《すいづつ》、これには屹度《きっと》水がある! けれど、取りに行かなきゃならぬ。さぞ痛む事《こッ》たろうな。えい、如何《どう》するもんかい、やッつけろ!
 と、這出《はいだ》す。脚《あし》を引摺《ひきず》りながら力の脱けた手で動かぬ体を動かして行く。死骸はわずか一間と隔てぬ所に在るのだけれど、その一間が時に取っては十里よりも……遠いのではないが、難儀だ。けれども、如何仕様《どうしよう》も無い、這《は》って行く外はない。咽喉《のど》は熱して焦《こ》げるよう。寧《いっ》そ水を飲まぬ方が手短に片付くとは思いながら、それでも若《も》しやに覊《ひか》されて……
 這《は》って行く。脚《あし》が地に泥《なず》んで、一《ひ》と動《うごき》する毎《ごと》に痛さは耐《こらえ》きれないほど。うんうんという唸声《うめきごえ》、それが頓《やが》て泣声になるけれど、それにも屈《めげ》ずに這《は》って行く。やッと這付《はいつ》く。そら吸筒《すいづつ》――果して水が有る――而も沢山! 吸筒《すいづつ》半分も有ったろうよ。やれ嬉しや、是でまず当分は水に困らぬ――死ぬ迄は困らぬのだ。やれやれ!
 兎も角も、お蔭さまで助かりますと、片肘《かたひじ》に身を持たせて吸筒《すいづつ》の紐を解《とき》にかかったが、ふッと中心を失って今は恩人の死骸の胸へ伏倒《のめ》りかかった。如何にも死人《しびと》臭《くさ》い匂がもう芬《ぷん》と鼻に来る。
 飲んだわ飲んだわ! 水は生温《なまぬる》かったけれど、腐敗しては居なかったし、それに沢山に有る。まだ二三日は命が繋《つな》がれようというもの、それそれ生理《せいり》心得草《こころえぐさ》に、水さえあらば食物《しょくもつ》なくとも人は能《よ》く一週間以上|活《い》くべしとあった。又|餓死《うえじに》をした人の話が出ていたが、その人は水を飲でいたばかりに永く死切れなかったという。
 それが如何《どう》した? 此上五六日生延びてそれが何《なに》になる? 味方は居ず、敵は遁《に》げた、近くに往来はなしとすれば、これは如何《どう》でも死ぬに極《きま》っている。三日で済む苦しみを一週間に引延すだけの事なら、寧《いっ》そ早く片付けた方が勝《まし》ではあるまいか? 隣のの側《そば》に銃もある、而も英吉利製《イギリスせい》の尤物《わざもの》と見える。一寸《ちょッと》手を延すだけの世話で、直ぐ埒《らち》が明く。皆打切らなかったと見えて、弾丸《たま》も其処に沢山転がっている。
 さア、死ぬか――待ってみるか? 何を? 助かるのを? 死ぬのを? 敵が来て傷《て》を負ったおれの足の皮剥《かわはぎ》に懸るを待ってみるのか? それよりも寧《いっ》そ我手で一思《ひとおもい》に……
 でないことさ、そう気を落したものでないことさ。活《いき》られるだけ活《いき》てみようじゃないか。何のこ
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