スというのです。」
「はあ、なるほど」ブラジル人は答えました、「植物学者がこれをアッタレーアと呼んでいることは、いかにもおっしゃるとおりでしょう。しかしまたこの木には、産地でついている本当の名があるのですよ。」
「学問上ついている名が本当の名なのです」と植物学者は無愛想に言い捨てて、研究室のガラス戸をぴしゃりとしめてしまいました。いったん科学者が物を言いかけたら、黙って拝聴するものだということさえ心得ていない人間に、仕事の邪魔をされたくなかったからでありました。
 けれどブラジル人はいつまでもそこにたたずんで、その木をながめておりました。そしてだんだん悲しい気持に落ちてゆきました。旅人は故郷のことを思い出したのです。あの太陽や青空を、珍しい鳥や獣のすんでいる豊かな森を、あの砂漠《さばく》を、あの妙《たえ》なる南国の夜を、思い出したのです。それからまた、自分は世界じゅうくまなくへめぐって見たものの、生まれ故郷にいたときのほかは、どこにいても幸福な気持になれなかったことも、思い出されたのでありました。旅人はさながらしゅろの木と別れを惜しむかのように、片手でそっと木の膚にさわって見てから、植物園を出て行きました。そしてあくる日はもう、故郷へ向けて出帆したのでありました。
 が、しゅろの木は置いてきぼりです。これまでもずいぶんと切ない思いをしていたのに、今ではなおのこと切なさが募るのでした。彼女はまったくの一人ぼっちだったのです。彼女はほかの草木の頂きを六間ちかくも抜いてそびえていましたので、下にいる植物たちは彼女を憎みうらやんで、なんて傲慢《ごうまん》な女だろうと思っていました。人並はずれて身のたけの高いということは、結局彼女にとっては悲しみの種になるだけでした。それも、みんなはああして一緒に暮らしているのに、自分だけは一人ぼっちだ――ということだけならまだいいのですが、なおその上に、なまじ背の高いおかげで、植物たちにとって大空の代わりになっているもの、つまりあのいまいましいガラス屋根に、だれよりも一ばん近いものですから、彼女の胸にはだれよりも深く故郷の青空のことが刻まれて、人一倍それが恋しくなつかしかったのです。そのガラス屋根ごしに、時おりは何かこう青い色が見えるのでした。それは蒼穹《そら》でありました。見知らぬ国の、色あせた空ではありましたが、でもやっぱり青空には違い
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