ば直《たゞち》に之を絶《た》つにあり、我れ饑《う》ゆるとも可なり、我の妻子《さいし》にして路頭《ろとう》に迷《まよ》ふに至るも我は忍《しの》ばん、真理《しんり》は我と我の家族《かぞく》より大なり、此《この》決心《けつしん》を実行《じつこう》あらん乎《か》、教会《けうくわい》は直《たゞち》に復興《ふくこう》し始《はじ》むべし、是《こ》れなからん乎、復興は世《よ》の終《おはり》まで待《ま》つも来《きた》らざるべし。
問、足下《そくか》は尚ほ[#「は尚ほ」に白丸傍点]何時迄《いつまで》も[#「も」に白丸傍点]著述《ちよじゆつ》に[#「に」に白丸傍点]従事《じうじ》せれんとする乎[#「せれんとする乎」に白丸傍点][#「せれ」の左側に「〔ら〕」の注記](基督《きりすと》信徒《しんと》に他人の仕事《しごと》を気《き》にする者|多《おほ》し)。
答、余《よ》は基督《きりすと》の兵卒《へいそつ》なり、兵卒は其時《そのとき》の来《きた》る迄《まで》は何《なに》をなすべきかを知らず、主《しゆ》の命《めい》ならん乎、余《よ》は高壇《かうだん》に立《た》つ事もあるべし、官海《くわんかい》に身《み》を投《た
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