発《けいはつ》に至るべし、然《しか》れども教会《けうくわい》は人為的《じんゐてき》なり、復興《ふくこう》せんと欲《ほつ》せば明日《めうにち》、今日《こんにち》、之《これ》を復興《ふくこう》するを得《う》べし、而して其《その》復興《ふくこう》の方《はう》たるや、安楽椅子《あんらくいす》に倚《よ》り罹《かゝ》り、或は柔軟《じうなん》なる膝褥《しつぢよく》の上《うへ》に跪《ひざまづ》き如何程《いかほど》祈祷《きたう》叫号《きうごう》するも無益《むえき》なり、暑《しよ》を山上に避《さ》けながら眼下《がんか》に群住《ぐんぢう》する憐《あは》れなる数万の異教徒《ゐけうと》の為《た》めに祈願《きぐわん》を込《こ》めるも無益《むえき》なり、教会《けうくわい》復興《ふくこう》の方策《はうさく》とは教導師《けうだうし》先《ま》づ躬《みづ》から身《み》を捐《す》つるにあり、彼《か》の家族《かぞく》の安楽《あんらく》を犠牲《ぎせい》に供《きやう》するにあり、若《も》しミツシヨンより金を貰《もら》ふ事《こと》が精神上《せいしんじやう》彼《かれ》と彼《かれ》の教会《けうくわい》の上に害《がい》ありと信《しん》ずれ
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