すべて》の人」と云えば過去の人をも含むのであって、彼等も亦何時か神の救を見ることを得べしと云う、而して是れ現世《このよ》に於て在るべき事でないことは明瞭《あきらか》である、基督教会が其伝道に由て「諸の人」に神の救を示すべしとは望んで益なき事である、而かも神は福音を以て人を鞫《さば》き給うに方《あたり》て、一度は真《まこと》の福音を之に示さずしては之を鞫き給わないのである、茲に於てか何時か何処かで諸《すべて》の人が皆神の救を見ることの出来る機会が供《あた》えられざるを得ないのである、而して斯る機会が全人類に供えらるべしとは神が其預言者等を以て聖書に於て明に示し給う所である、而して路加伝の此一節も亦此事を伝うる者である、
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人の子己の栄光をもて諸《もろもろ》の聖使《きよきつかい》を率い来る時、彼れ其栄光の位に坐し、万国の民をその前に集め、羊を牧《か》う者の綿羊と山羊とを別つが如く彼等を別ち云々、
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と馬太伝二十五章にあることが路加伝の此所にも簡短に記されてあるのである、未来の大審判を背景として読みて此一節も亦深き意味を我等の心に持来すのである。
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