督教青年』を私が汚穢《きたな》い用に用いるのは何であるかというに、実につまらぬ雑誌であるからです。なにゆえにつまらないかというに、アノ雑誌のなかに名論卓説がないからつまらないというのではありません。アノ雑誌のつまらないわけは、青年が青年らしくないことを書くからです。青年が学者の真似をして、つまらない議論をアッチからも引き抜き、コッチからも引き抜いて、それを鋏刀《はさみ》と糊とでくッつけたような論文を出すから読まないのです。もし青年が青年の心のままを書いてくれたならば、私はこれを大切にして年の終りになったら立派に表装して、私の Library 《ライブラリイ》(書函)のなかのもっとも価値あるものとして遺しておきましょうと申しました。それからその雑誌はだいぶ改良されたようであります。それです、私は名論卓説を聴きたいのではない。私の欲するところと社会の欲するところは、女よりは女のいうようなことを聴きたい、男よりは男のいうようなことを聴きたい、青年よりは青年の思っているとおりのことを聴きたい、老人よりは老人の思っているとおりのことを聴きたい。それが文学です。それゆえにただわれわれの心のままを表白してごらんなさい。ソウしてゆけばいくら文法は間違っておっても、世の中の人が読んでくれる。それがわれわれの遺物です。もし何もすることができなければ、われわれの思うままを書けばよろしいのです。私は高知から来た一人の下女を持っています。非常に面白い下女で、私のところに参りましてから、いろいろの世話をいたします。ある時はほとんど私の母のように私の世話をしてくれます。その女が手紙を書くのを側《そば》で見ていますと、非常な手紙です。筆を横に取って、仮名で、土佐言葉で書く。今あとで坂本さんが出て土佐言葉の標本を諸君に示すかも知れませぬ(大笑拍手)。ずいぶん面白い言葉であります。仮名で書くのですから、土佐言葉がソックリそのままで出てくる。それで彼女は長い手紙を書きます。実に読むのに骨が折れる。しかしながら私はいつでもそれを見て喜びます。その女は信者でも何でもない。毎月|三日月様《みかづきさま》になりますと私のところへ参って「ドウゾ旦那さまお銭《あし》を六厘」という。「何に使うか」というと、黙っている。「何でもよいから」という。やると豆腐を買ってきまして、三日月様に豆腐を供《そな》える。後で聞いてみると「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。私は感謝していつでも六厘差し出します(大笑)。それから七夕様《たなばたさま》がきますといつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつもそれを喜んで供えさせます。その女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも喜んで見まする。それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、われわれの心情に訴えるものであります。文学というものはソウいうものであるならば……ソウいうものでなくてはならぬ……それならばわれわれはなろうと思えば文学者になることができます。われわれの文学者になれないのは筆が執《と》れないからなれないのではない、われわれに漢文が書けないから文学者になれないのでもない。われわれの心に鬱勃《うつぼつ》たる思想が籠《こ》もっておって、われわれが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある」。実にあなたがたの心情をありのままに書いてごらんなさい、それが流暢なる立派な文学であります。私自身の経験によっても私は文天祥《ぶんてんしょう》がドウ書いたか、白楽天がドウ書いたかと思っていろいろ調べてしかる後に書いた文よりも、自分が心のありのままに、仮名《かな》の間違いがあろうが、文法に合うまいが、かまわないで書いた文の方が私が見ても一番良い文章であって、外の人が評してもまた一番良い文章であるといいます。文学者の秘訣《ひけつ》はそこにあります。こういう文学ならばわれわれ誰でも遺すことができる。それゆえに有難いことでございます。もしわれわれが事業?竄キことができなければ、われわれに神様が言葉というものを下さいましたからして、われわれ人間に文学というものを下さいましたから、われわれは文学をもってわれわれの考えを後世に遺して逝くことができます。
ソウ申しますとまたこういう問題が出てきます。われわれは金を溜めることができず、また事業をなすことができない。それからまたそれならばといって、あなたがたがみな文学者になったらば、たぶん活版屋では喜ぶかもしれませぬけれども、社会では喜ばない。文学者の世の中にふえるということは、ただ活版屋と紙製造所を喜ばすだけで、あまり社会に益をなさないかも知れない。ゆえにもしわれわれが文学者となることができず、またなる考えもなし、バンヤンのような思想を持っておっても、バンヤンのように綴ることができないときには、別に後世への遺物はないかという問題が起る。それは私にもたびたび起った問題であります。なるほど文学者になることは私が前に述べましたとおりヤサシイこととは思いますけれども、しかし誰でも文学者になるということは実は望むべからざることであります。たとえば、学校の先生……ある人がいうように何でも大学に入って学士の称号を取り、あるいはその上にアメリカへでも往って学校を卒業さえしてくれば、それで先生になれると思うのと同じことであります。私はたびたび聞いて感じまして、今でも心に留《と》めておりますが、私がたいへん世話になりましたアーマスト大学の教頭シーリー先生がいった言葉に「この学校で払うだけの給金を払えば学者を得ることはいくらでも得られる。地質学を研究する人、動物学を研究する人はいくらもある。地質学者、動物学者はたくさんいる。しかしながら地質学、動物学を教えることのできる人は実に少い。文学者はたくさんいる、文学を教えることのできる人は少い。それゆえにこの学校に三、四十人の教授がいるけれども、その三、四十人の教師は非常に貴《とうと》い、なぜなればこれらの人は学問を自分で知っているばかりでなく、それを教えることのできる人であります」と。これはわれわれが深く考うべきことで、われわれが学校さえ卒業すればかならず先生になれるという考えを持ってはならぬ。学校の先生になるということは一種特別の天職だと私は思っております。よい先生というものはかならずしも大学者ではない。大島君もご承知でございますが、私どもが札幌におりましたときに、クラーク先生という人が教師であって、植物学を受け持っておりました。その時分にはほかに植物学者がおりませぬから、クラーク先生を第一等の植物学者だと思っておりました。この先生のいったことは植物学上誤りのないことだと思っておりましたBしかしながら彼の本国に行って聞いたら、先生だいぶ化《ばけ》の皮が現われた。かの国のある学者が、クラークが植物学について口を利《き》くなどとは不思議だ、といって笑っておりました。しかしながら、とにかく先生は非常な力を持っておった人でした。どういう力であったかというに、すなわち植物学を青年の頭のなかへ注ぎ込んで、植物学という学問の Interest 《インタレスト》を起す力を持った人でありました。それゆえに植物学の先生としては非常に価値のあった人でありました。ゆえに学問さえすれば、われわれが先生になれるという考えをわれわれは持つべきでない。われわれに思想さえあれば、われわれがことごとく先生になれるという考えを抛却《ほうきゃく》してしまわねばならぬ。先生になる人は学問ができるよりも――学問もなくてはなりませぬけれども――学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならない。これを伝えることは一つの技術であります。短い言葉でありますけれども、このなかに非常の意味が含まっております。たといわれわれが文学者になりたい、学校の先生になりたいという望みがあっても、これかならずしも誰にもできるものではないと思います。
それで金も遺すことができず、事業も遺すことができない人は、かならずや文学者または学校の先生となって思想を遺して逝くことができるかというに、それはそうはいかぬ。しかしながら文学と教育とは、工業をなすということ、金を溜めるということよりも、よほどやさしいことだと思います。なぜなれば独立でできることであるからです。ことに文学は独立的の事業である。今日のような学校にてはどこの学校にても、Mission School 《ミッション スクール》を始めとしてどこの官立学校にても、われわれの思想を伝えるといっても実際伝えることはできない。それゆえ学校事業は独立事業としてはずいぶん難い事業であります。しかしながら文学事業にいたっては社会はほとんどわれわれの自由に任《まか》せる。それゆえに多くの独立を望む人が政治界を去って宗教界に入り、宗教界を去って教育界に入り、また教育界を去ってついに文学界に入ったことは明かな事実であります。多くのエライ人は文学に逃げ込みました。文学は独立の思想を維持する人のために、もっとも便益なる隠れ場所であろうと思います。しかしながらただ今も申し上げましたとおり、かならずしも誰にでも入ることのできる道ではない。
ここにいたってこういう問題が出てくる。文学者にもなれず学校の先生にもなれなかったならば、それならば私は後世に何をも遺すことはできないかという問題が出てくる。何かほかに事業はないか、私もたびたびそれがために失望に陥ることがある。しからば私には何も遺すものはない。事業家にもなれず、金を溜めることもできず、本を書くこともできず、ものを教えることもできない。ソウすれば私は無用の人間として、平凡の人間として消えてしまわなければならぬか。陸放翁《りくほうおう》のいったごとく「我死骨即朽《わがしこつすなわちくつるも》、青史亦無名《せいしにまたななし》」と嘆じ、この悲嘆の声を発してわれわれが生涯を終るのではないかと思うて失望の極に陥ることがある。しかれども私はそれよりモット大きい、今度は前の三つと違いまして誰にも遺すことのできる最大遺物があると思う。それは実に最大[#「最大」に白丸傍点]遺物であります。金も実に一つの遺物でありますけれども、私はこれを最大遺物と名づけることはできない。事業も実に大遺物たるには相違ない、ほとんど最大遺物というてもようございますけれども、いまだこれを本当の最大遺物ということはできない。文学も先刻お話ししたとおり実に貴いものであって、わが思想を書いたものは実に後世への価値ある遺物と思いますけれども、私がこれをもって最大遺物ということはできない。最大遺物ということのできないわけは、一つは誰にも遺すことのできる遺物でないから最大遺物ということはできないのではないかと思う。そればかりでなくその結果はかならずしも害のないものではない。昨日もお話ししたとおり金は用い方によってたいへん利益がありますけれども、用い方が悪いとまたたいへん害を来《きた》すものである。事業におけるも同じことであります。クロムウェルの事業とか、リビングストンの事業はたいへん利益がありますかわりに、またこれには害が一緒に伴《ともの》うております。また本を書くことも同じようにそのなかに善いこともありまた悪いこともたくさんあります。われわれはそれを完全なる遺物または最大遺物と名づけることはできないと思います。
それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる、ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯[#「勇ましい高尚なる生涯」に白丸傍点]であると思います。これが本当の遺物ではないかと思う。他の遺物は誰にも遺す
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