はただチャールス・ウェスレーを尊敬するあまりに発した言葉であって、けっしてビーチャーの心のなかから出た言葉ではないように思われますけれども、しかしながらウェスレーのこの歌をいく度か繰り返して歌ってみまして、どれだけの心情、どれだけの趣味、どれだけの希望がそのうちにあるかを見るときには、あるいはビーチャーのいったことが本当であるかも知れないと思います。ビーチャーの大事業もけっしてこの一つの讃美歌ほどの事業をなしていないかも知れませぬ。それゆえにもしわれわれに思想がありまするならば、もしわれわれがそれを直接に実行することができないならば、それを紙に写しましてこれを後世に遺しますこニは大事業ではないかと思います。文学者の事業というものはそれゆえに羨むべき事業である。
こういう事業ならばあるいはわれわれも行ってみたいと思う。こう申しますると、諸君のなかにまたこういう人があります。「ドウモしかしながら文学などは私らにはとてもできない、ドウモ私は今まで筆を執ったことがない。また私は学問が少い、とても私は文学者になることはできない」。それで『源氏物語』を見てとてもこういう流暢《りゅうちょう》なる文
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