に十五万七千エーカーに過ぎませんでしたが、四十七年後の一九〇七年にいたりましては四十七万六千エーカーの多きに達しました。しかしこれなお全州面積の七分二厘に過ぎません。さらにダルガスの方法に循《したが》い植林を継続いたしますならば数十年の後にはかの地に数百万エーカーの緑林を見るにいたるのでありましょう。実に多望と謂《いい》つべしであります。
 しかし植林の効果は単に木材の収穫に止《とど》まりません。第一にその善き感化を蒙《こうむ》りたるものはユトランドの気候でありました。樹木のなき土地は熱しやすくして冷《さ》めやすくあります。ゆえにダルガスの植林以前においてはユトランドの夏は昼は非常に暑くして、夜はときに霜を見ました。四六時中に熱帯の暑気と初冬の霜を見ることでありますれば、植生は堪《たま》ったものでありません。その時にあたってユトランドの農夫が収穫成功の希望をもって種《う》ゆるを得し植物は馬鈴薯、黒麦、その他少数のものに過ぎませんでした。しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったく止《や》みました。今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅《おおもみ》の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与えられし上に善き気候を与えられました、植ゆべきはまことに樹であります。
 しかし植林の善き感化はこれに止《とど》まりませんでした。樹木の繁茂は海岸より吹き送らるる砂塵《すなほこり》の荒廃を止《と》めました。北海沿岸特有の砂丘《すなやま》は海岸近くに喰い止められました、樅《もみ》は根を地に張りて襲いくる砂塵《すなほこり》に対していいました、
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ここまでは来《きた》るを得《う》べし
しかしここを越ゆべからず
[#引用文終わり]
と(ヨブ記三八章一一節)。北海に浜《ひん》する国にとりては敵国の艦隊よりも恐るべき砂丘《すなやま》は、戦闘艦ならずして緑の樅の林をもって、ここにみごとに撃退されたのであります。
 霜は消え砂は去り、その上に第三に洪水の害は除かれたのであります。これいずこの国においても植林の結果としてじきに現わるるものであります。もちろん海抜六百尺をもって最高点となすユトランドにおいてはわが邦《くに》のごとき山国《やまぐに》におけるごとく洪水の害を見
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