すば》らしい仕事をさせる武器《ぶき》ですが、冷静《れいせい》は常に物の道理を考えさせる唯一《ゆいいつ》の力です。
アナトール・フランスは、また、世界で屈指《くっし》の名文家《めいぶんか》です。文章は平明《へいめい》で微妙《びみょう》で調子《ちょうし》が整《ととの》っていて、その上自然な重々しさをもっています。これを澄《す》んだ泉の水にたとえた人がいますが、実際《じっさい》フランス語でこれを読むと、もう百倍も美《うつく》しい文章だということがわかります。
千九百二十四年、すなわち大正十三年に、彼は死《し》にました。これで一|時代《じだい》が終わったといわれるほど大きな事件《じけん》でありました。(訳者)
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「わたしには、どうも想像力《そうぞうりょく》っていうものがなくってね。」と、母はよくいったものだ。
「想像力《そうぞうりょく》がない」と彼女《かのじょ》がいったのは、それは想像力《そうぞうりょく》といえば、小説《しょうせつ》を作るというようなことだけをいうものと思《おも》っていたからで、その実《じつ》、母は自分《じぶん》では知《し》らずにいるのだけれど、およそ文章《ぶんしょう》では書きあらわせないような、まことに愛《あい》すべき、一|種《しゅ》特別《とくべつ》な想像力をもっていたのだ。母は家庭向《かていむ》きの奥《おく》さんという性《たち》の人で、家《うち》の中の用事にかかりっきりだった。しかし、彼女《かのじょ》のものの考え方には、どことなく面白《おもしろ》いところがあったので、家《うち》の中《なか》のつまらない仕事《しごと》もそのために活気《かっき》づき、潤《うるお》いが生《しょう》じた。母は、ストーヴや鍋《なべ》や、ナイフやフォークや、布巾《ふきん》やアイロンや、そういうものに生命《いのち》を吹《ふ》きこみ、話をさせる術《じゅつ》を心得ていた。つまり彼女は、たくまないお伽話《とぎばなし》の作者《さくしゃ》だった。母はいろいろなお話《はなし》をして、僕《ぼく》を楽《たの》しませてくれたが、自分《じぶん》ではなんにも考え出《だ》せないと思っていたものだから、僕の持っていた絵本《えほん》の絵《え》を土台《どだい》にしてお話《はなし》をしてくれたものだ。
これから、その母の話《はなし》というのを一つ二つ紹介《しょうかい》するが、僕は出来
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