子からはその後何の消息もなかった。
するとある日母親は、銭湯で近所のおかみさんから呼びかけられた。
「此のつい四五日前、私んとこの娘が、お宅のみをちゃんに逢ったっていってましたんですよ。」
「えッ何処で、みを子に――」
「それがさ、亀戸の先の方でなんですよ。」
「人違いじゃありませんかね……」
「いえ、うちのはみをちゃんと学校が六年間も一緒でしたものね。」
「で、娘は、どんな風をして居りました?」
「日本髪に結って、お弁当箱をもって[#底本では「もつて」と誤記]、何でも女工さん達と一緒に歩いてましたって……」
「それで、あれは元気でしたろうか?」
「さ……うちのが、みをちゃん[#底本では「みをちやん」と誤記]――と呼んだら、急いで行って[#底本では「行つて」と誤記]しまったっていってましたですよ。」
折角きいた話は、あっけない話だった。しかしみを子が無事でいることだけは、彼女にとって、唯一つの大きい希望だった。
息子はこの二三年、病気で欠勤がちだった。しかし家にいる時でも、技術がすたるといって仕事をしていた。
紙幣《さつ》の裏表を占めている、息づまる程交錯した、毛よりも細い線
前へ
次へ
全17ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング