、引き返すのも口惜しかった。だがこんな処で霧に包まれてしまったら、どうなるのか解らないという不安に私は段々|駈《か》られ出した。歩くにも何一つ目標がなく、眼前に折り重なっていた山々も悉く姿を消してしまって、ただ自分だけが、雨と汗にぬれそぼちながら、徒に霧の中を泳いでいるのだった。少しでも薄暮の光のあるうちに、目的地まで辿り着こうと私は焦った。然し一度来たことのある山路なので、あまり迷いもせずにやっとめざす、その旅宿の灯を見つけることができた。
 七月もまだ初旬なので、泊まり客は僅かしかいなかったが、前に来た時には田舎のお盆で、庭に盆踊りがあるとかで、一つも空いている室がなかった。宿屋といってもこの辺には此処一軒きりないので、時間はもう夜の九時だし、今さら東京へ発つにも発てず、その時程、私は困ったことはなかった。「何処か寝かしてだけ貰うところはありますまいか」「さあ何処も一杯です」「物置の隅でもかまわないんですが」私はこんな押し問答をしながら宿屋の土間に突っ立っていた。するともう一人私の背後に女の人がいて「何処かに割り込まして貰うことはできますまいか」といっていた。「さあ困りましたね、大
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング