か愉快なことを聞かせてもらったのですっかり安心した。君は八十銭の日給でうまく生活して行くことが出来るのかね。多分お母さんに支持してもらっているのだろうが。なるべく一人ですっかりやった方がいいじゃないか? お母さんには今度逢ったらよろしく云ってくれ(さしつかえなかったら)――本が三冊宅下げしてある。「明治大正文学全集」とトーマスマン短編集と、ドイツ語の本だ。なるべくKに返して貰うように誰かに依頼してくれ。
 今度T子さんに逢ったら(嘘のようだが、あの尊敬すべき夫人の名前を僕は此処に来てから始めて知ったのだ。何か珍しい単語を字引で引き当てたような気がした)――経済学全集の中から、さしつかえなさそうなものを、毎月位の割で入れてくれるように頼んでくれ。それは彼の偉大な頭を持って(ただし形式の)有名な俺の竹馬の友、Nという男がもっている筈だ。俺の「病気」はまだ大したことはないから心配するな。此処にいる間は少し位体が悪くても一こうさしつかえないではないか。君の健康こそなかなか心配すべき点と理由とを持っているのだが、近頃は非常にいいらしいので安心している。
 もうそろそろ、俺達の一年が周ってくる。あの画家のうちは、青葉の中に埋没されて毛虫やナメクジが密集していることだろう。画家は絵が描けないと悲観しているそうだ。あの驢馬のような絵描きは、昔のようにノンキにノンキな画を描くことは出来なくなってしまったらしい。何か特別な「美」をデッチ上げることにサンタンたる苦心ばかりしているが、元来そんな「特別な美」なんてものはありえないから、其処に表現されているものは、唯重苦しい苛々《いらいら》した気持ちだけなのだ。あれでは絵も描けなくなる筈だ。処で僕が一番初めに君にすすめた本を、君は読んでしまったかね。あの本は非常にいい本だから是非一生懸命に読めよ。    完

 此処では男の人の手紙ばかりで、残念ながら女の人のがない。然しながらこの手紙を読んでゆけば、その前に女の人がどんな手紙を出したかは、ほぼ推察されることだろう。と同時に、女の人――山内ゆう子――の境遇が転々と変化して行くことも想像されるだろうが、実際また彼女はあらゆる苦難と戦いながら、勇敢に勤労婦人の生活の中へ飛び込んで行った。ある時はタイピストにある時はバス車掌に、――それは止むをえない事情で職場を変えたのだった。
 だが、今ではもう完
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