職業の苦痛
若杉鳥子
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)将来《いまに》
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(例)[#この行は注記、44−10]]
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理想は女弁護士
幼少の頃、将来《いまに》汝《おまえ》は何に成るの? と能く聞かれたものでした。すると私は男の子の如《よう》に双肩《かた》聳やかして女弁護士! と答えました。それが十四五の時分には激変して、沈鬱な少女になって了《しま》いましたが、今は果たして違わず女弁護士と迄ならずとも、女新聞記者というお転婆者になりました。
最初は、女権拡張論ぐらい唱え出す意気込みがあったかも知れませんが、どうしてどうして社会は私達に、そんな自由を与えて呉れません。
自分の素養の足りない事をも顧みず、盲人蛇に怯じず的に、逆巻く濁流の渦中に飛び込んだので御座いました。
今思い出すと、怖ろしさと恥ずかしさとに戦慄を覚えます。
幾多の人の親切も誠意《まこと》も、年老いた父母の涙をも、唯々自らの個性を葬る圧迫とのみ思いました。
自由とか解放とか、然《そ》うした世界に憧憬して、煙のような夢の如な天地を想見して、遂に温かい父母の膝下を去ったのです。
果たして自由の世界を発見する事を得ましたでしょうか。
婦人記者となる
社会に出てから、仕事は私にとって、案外困難な事でも御座いませんでした。然し自分の純白であった感情を斯くまで損なわれる事とは思いもよらなかったのでした。
最初に与えられた仕事というのは、名士や夫人を訪問する事で、余り六ヶ敷《むずかし》い事とも思われませんが、中中然うでないのです。然し初めの二三日は何の経験もないので、黙って卓子《テーブル》の前にあって、雑誌の切り抜き等をさせられていました。編輯長や主任に対しては、唯々満身敬意の念を持って、御意の侭に働きました。然し想像した新聞社というものは、目の回る程忙しい活気の満ち満ちたものだと思って居りましたにも係わらず、毎日|凝《じっ》としているので、苦痛で苦痛で堪えられません。すると、××主任もそれを察して下すって『然うしているのも苦しいでしょうから、何処か訪問して御覧なさい。』と、嬉んで話し相な人を、皆で列挙してくれました。イの一番に伺ったのは、慥か岡田八千代女史のお宅だと覚えています。
訪問難
東京の地理さえも委しく知らず、何でも渋谷の伊達という邸《やしき》の跡と聞いたので、青山の終点で電車を下りました。――今思えば割合に大胆でしたね――そして、伊達跡伊達跡と尋ね廻ったけれども、一向わかりません。
酒屋で聞いても薪屋で聞いても知れません。凡そ二時間も渋谷の野をうろついて、漸く差配をしている、駄菓子屋のお爺さんに尋ねますと、『その岡田さんというのは何を商売にしていなさるんです。』といった。『美術家、あの絵をお書きになるのです。』お爺さんは此の界隈で有名な識者《ものしり》だそうですが、猶首を傾けて考え込んで居まして、
『それでは、俺《わし》の姪にあたるのですが、その亭主が絵師《えかき》ですから、其処《そこ》へ行ってお聞きなさい、ナアニ、直き向こうの小さい家です』と親切に教えて呉れました。
日当たりの悪い茅葺き屋根の家です。御免下さいとおとなえば、若い病みあがりらしい妻君が、蒼い顔をして出て来ました。その妻君も『岡田さん――、美術家――』と、暫く考え込んでいましたが、
『その方の奥さんでしょう、小説をお書きになるのは。それならば小説にいつか天現寺橋の辺りとありましたよ』とその橋を教えて呉れました。天現寺橋なんて名前すらも初めて聞くので御座います。漸《ようよ》うにして其のお玄関に辿りついた時は、何しろ二時間も足駄を引き摺ったのでしたから、足袋は切れる足は痛む、馴れないので全身綿のように疲れていました。
問いたいと思う事も口に出ず、思い切って問題を提出すれば、八千代女史は謙虚に、
『私達にはわかりませんで御座います。』とお逃げ遊ばす。それを突っ込む勇気もなければ、術《すべ》も知らず、唯話の途絶えめ途絶えめを、何処からかカンナの音が響いて来ます。その間の悪かった事はお話になりません。
談話は断片的で社へ帰ったとて、記事になりそうもなく、その焦慮と恥ずかしさが込み上げて、座に居堪えないようで御座いました。それでも日頃尊敬していた人に見《まみ》えた、一種の満足を得て、私は社へ帰って参りました。初めての事で非常に印象強く、どうか斯うか纏めて書きました。
自分を殺してかかる
男の方を訪問するのは割合に楽で、問題さえ提出すれば大抵の方はお話し下さるので、別に呼吸も何も要りませんが、婦人にして訪問記者
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