ともいえない、うら悲しい気持ちで、その百姓家の窓から、これらの風物を見つめていたのだった。だが、「もう帰ろうよゥ」ともいい出せない、せっぱ詰まった事情でそこに雨宿りしているということは、子供ながらに知っていた。そして帰りたいのを凝と堪えていたのだった。
それは多分、私の里子にやられていた家の親達が、もう百姓の仕事を止めて、旅商人になってからのことだったと思う。
一家は玩具や雑貨の荷を背で負って、盛り場から盛り場へと歩いてゆく父親に随《つ》いて、祭礼や縁日のある土地へ行った。何処ででも行き着いた土地へ天幕の店を張って、地面へ薄ベリのようなものを敷いて、玩具のサーベルやラッパや安っぽい花簪や、蟇口の類を並べ、そして唄のように節をつけてお客を招ぶのだった。私もいつかその口|擬《ま》ねを覚えて、天幕の店へ坐っていた。お神楽の太鼓や疳高くピイピイ鳴る風船の笛、或いは爆竹の音、アセチレン瓦斯、おでん屋の匂いなんかの中に、凍えるような夜をふかすのだった。
その時分に肺炎をやったりしたのが今でも祟って、幼い時から喘息やみになってしまった。そのうち学齢が来て、やっと養家へ引きとられて行ったが、どん
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