は親へ、女の方は楼主へ引き渡されたものだった。
 それでも白木の棺だけは用意されて、其処からは一丁程しかないお寺の墓地に搬《はこ》ばれたのである。
 路に添うた墓地の一郭、此処は昔から無縁の死者を埋める処で、土饅頭が幾つも熊笹に埋もれているだけで、墓標も何もない、おまけに大きい樹が繁りあって、昼も暗く空を掩っている。血が滲み出しはしないかと思われる位、死後の時間を経過しない棺桶が一つ、あら縄で括られたまま手荷物か何かのように、今掘り起こされつつある赭《あか》い盛り土の傍に置いてあった。
寺男の爺さんはせっせ[#「せっせ」に傍点]と鋤をふるいながら段々穴を掘り下げていたが、
『お、こんなものが出やがった、偉い酒の好きな仏様だと見えて……』
 そういって何か土塊のようなものを、見物人のあしもと足許《あしもと》へ投げ出した。
 黒い大徳利が一つ、過ぎ去った人生そのもののような顔をして、久しぶりで空気の中に置かれた。
『みんな、見物ばかりしてねえで、お酒でも買って上げな、そうしねえてと今夜この仏様がよ、打ち掛け姿で礼に廻って歩くと……』
 爺さんが気味の悪い冗談をいうと皆も、
『何も化けて出るこたありゃしまい、散々思いあって思う男と死に遂げるなんて、こんな甘《うま》い話があるもんかい。』
そんな風な冗談をいいあったが、何故か心から笑う者はなかった。その目の前には、何等の形式の片影も被《かぶ》せられてない血みどろの若い女の屍体が、厳然と置かれてあるではないか……。
 無宗教の葬式のように、お経を読むでもなく香を焚くでもなく華を手向けるでもない、悼詞で死者の生涯を讃めたたえるような友人も彼女に勿論あろう筈がないのだった。
 文字どおりただ埋めるだけなのである。
 墓場に和尚は顔を出しても、法衣一つ身に纏わず、自分も迷惑そうな苦笑さえ浮かべて、
『××楼さん――どうもはやお気の毒な事で、とんだ御損害で……』
 楼主に対して挨拶をする。
 坊さんばかりでなく、此処へ集まって来ている誰も彼もが、不思議と彼女を憐れもうとする者は一人もなく、
『御災難で、御損害で、御気の毒で』
 と楼主に対して繰り返してる。
 然しそれは不思議でも何でもないかも知れない、一度こうした変死者を出すと、その抱え主の楼《うち》では、死者の借金が無になる許《ばか》りでなく、連想を忌んで、当分その家へ遊びにゆくものがなくなり、ぱったり客足が絶えてしまうので、一家の浮沈、生命の問題にまで拘わる事なのである。

      4 死への道 

 そしてまた彼女達は、何と容易に死を選ぶことだろう、刃物で、劇薬で、鉄道線路で……。
 ××楼のあの座敷は、三度情死のあった場所だろうか、壁を塗り代えても畳をとりかえても、すぐ血痕が附着するとか、線路上に飛散した男女の肉片が、夜来の豪雨に洗い曝された、烏賊《いか》の甲のようにキレイだったとか――色々のことを私は聴いた。[#底本では、この行頭の1字下げ無し]
 何時《いつ》の世にもこうした悲惨な事件が、何処の遊郭にも公娼の制度の存する限り、記録なき歴史を繰り返してゆくであろう。
 また私はある者が、暗い小部屋で肺患に呻吟しているのを見た。
 蒼ざめ痩せ細っていても、まだ快方に向かう希望のある中は、一歩も其処から解放されることはできないだろう。譬えまた、自由に行け、行って静養しておいで! といわれた処で、帰るべき家に、病人の彼女が齎らしてゆくおみやげは、一家の負担を一層切なくする飢えをもってゆくだけだろう。
『大抵な女を、可哀想だと思って家に帰すと、帰って直ぐに死んでしまう、それは此処にいるように養生が出来ないからだ……』
 彼女達の抱え主はよくそんな事をいう。何という悲惨な事だろう。そしてそれは抱え主の優越感ばかりでなく実際のようだ。
 然し彼女達がその奴隷の境遇から優しく鎖を解かれる時は、既に医者から楼主へ、死の宣告の下された時だ!
 それからまた私は見た――
 彼女達は白昼|睡《ねむ》っている、疲労と栄養不良との死面《デスマスク》を!
 それから彼女達が何曜日かの朝、怪しげな美衣を纏って、不良な髪油と白粉との悪臭を放ちながら、白昼公然奇異な一群をなして、ぞろぞろと病院へ検診にやられる姿は、同性全体が担わなければならない耻かしめではないか。そして彼女達の生命は、この安価な惨めな取り扱いに日々腐乱し、鈍感にされてゆくばかりだ。
 そして私達は母として自分達が一つの生命に払って来た、デリケイトな心づかいを顧みる時に、それをまた、彼女達の生命の上に移して考える時に、あの真空の電球を、赤ン坊の目の前で破裂さして見るような、きわどい衝動《ショック》を感じないではいられない。
 母性というものは、貧しければ貧しいなりに、我が子の生命の為には惜しみなく心
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