瘤とり
楠山正雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)ある所《ところ》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|面《めん》
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(例)しち[#「しち」に傍点]
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一
むかし、むかし、ある所《ところ》に、一人《ひとり》のおじいさんがありました。右《みぎ》のほおにぶらぶら大きな瘤《こぶ》をぶら下《さ》げて、始終《しじゅう》じゃまそうにしていました。
ある日、おじいさんは山へ木を切《き》りに行きました。にわかにひどい大あらしになって、稲光《いなびかり》がぴかぴか光《ひか》って、ごろごろ雷《かみなり》が鳴《な》り出《だ》しました。そのうち雨《あめ》がざあざあ降《ふ》ってきて、うちへ帰《かえ》るにも帰《かえ》れなくなりました。どうしようかと思《おも》って見回《みまわ》しますと、そこに大きな木のうろを見《み》つけました。しかたがありませんから、その中に入《はい》って、雨《あめ》の小《こ》やみになるのを待《ま》っているうちに、いつか日《ひ》はとっぷりくれてしまいました。
深《ふか》い山の中には、もうきこりの木を切《き》る音《おと》もしません。木のうろの外《そと》は、一|面《めん》真《ま》っ暗《くら》やみの中に、すさまじいあらしが、うなり声《ごえ》を立《た》てて通《とお》っていくだけです。
おじいさんはこわくって、こわくって、たまらないので、夜通《よどお》し目《め》も合《あ》わずに、うろの中に小《ちい》さくなっておりました。
夜中《よなか》になって、雨《あめ》がだんだん小降《こぶ》りになり、やがてあらしがぱったりやみますと、はるか高《たか》い山の上から、なんだか大《おお》ぜいがやがや騒《さわ》ぎながら、下《お》りてくる声《こえ》がしました。
おじいさんは今《いま》まで一人《ひとり》ぼっちで、寂《さび》しくってたまらなかったところですから、声《こえ》を聞《き》くとやっと生《い》き返《かえ》ったような気《き》がしました。
「やれやれ、お連《つ》れが出来《でき》て有《あ》り難《がた》い。」
といいながら、そっとうろの中から顔《かお》を出《だ》してのぞいてみますと、まあどうでしょう、それは人ではなくって、ふしぎな化《ば》け物《もの》が、何《なん》十|人《にん》となくぞろぞろ出《で》てくるのです。青《あお》い着物《きもの》を着《き》た赤鬼《あかおに》もいました。赤《あか》い着物《きもの》を着《き》た黒鬼《くろおに》もいました。それが山猫《やまねこ》の目《め》のようにきらきら光《ひか》る明《あ》かりを先《さき》に立《た》てて、どやどや下《お》りてくるのです。
おじいさんは肝《きも》をつぶして、またうろの中へ首《くび》を引《ひ》っ込《こ》めてしまいました。そしてぶるぶるふるえながら、小《ちい》さくなって息《いき》を殺《ころ》していました。
鬼《おに》どもはやがて、おじいさんの居《い》るうろの前《まえ》まで来《き》ますと、がやがやいいながら、みんなそこに立《た》ち止《ど》まってしまいました。おじいさんは、「おやおや。」と思《おも》いながら、いよいよ小《ちい》さくなっていますと、そのうちのおかしららしいのが、真《ま》ん中《なか》に座《すわ》って、その右《みぎ》と左《ひだり》へ外《ほか》の鬼《おに》たちがずらりと二《ふた》かわに並びました。よく見《み》ると目《め》の一つしかないのや、口のまるでないのや、鼻《はな》の欠《か》けたのや、それはそれは何《なん》ともいえない気味《きみ》の悪《わる》い顔《かお》をした、いろいろな化《ば》け物《もの》が押《お》しくらをしておりました。
そのうちお酒《さけ》が出《で》ますと、みんなお互《たが》いに土器《かわらけ》のお杯《さかずき》をうけたり、さしたり、まるで人間《にんげん》のするとおりの、楽《たの》しそうなお酒盛《さかも》りがはじまりました。
お杯《さかずき》の数《かず》がだんだん重《かさ》なるうちに、おかしららしい鬼《おに》は、だれよりもよけいに酔《よ》って、さもおもしろそうに笑《わら》いくずれていました。すると下座《しもざ》の方《ほう》から、一人《ひとり》の若《わか》い鬼《おに》が立《た》ってきて、お三方《さんぼう》の上に食《た》べ物《もの》をのせて、おそるおそるおかしらの鬼《おに》の前《まえ》へ持《も》って出ました。そして何《なに》かわけの分《わ》からないことをしきりにいっているようです。おかしらの鬼《おに》もお杯《さかずき》を左《ひだり》の手に持《も》って、おもしろそうに笑《わら》いながら聞《き》いています。その様子《ようす》は少《すこ》しも人間《にんげん》と違《ちが》ったところはありません。
やがておかしらは、
「さあだれか歌《うた》を歌《うた》う者《もの》はないか。踊《おど》りを踊《おど》る者《もの》はないか。」
といって、そこらを見回《みまわ》しました。
やがておかしらのそばに座《すわ》っていた鬼《おに》が、出《だ》し抜《ぬ》けに大きな声《こえ》で歌《うた》を歌《うた》い出《だ》しました。するとさっきの若《わか》い鬼《おに》も、すその方《ほう》から前《まえ》へ飛《と》び出《だ》してきて、さんざん踊《おど》りを踊《おど》って引《ひ》っ込《こ》みました。それから代《か》わる代《が》わる下座《しもざ》の方《ほう》から、一人一人《ひとりひとり》違《ちが》った鬼《おに》が立《た》ってきて、同《おな》じように踊《おど》りを踊《おど》りました。中《なか》には上手《じょうず》に踊《おど》ってほめられる者《もの》もあれば、ぶきような踊《おど》り方《かた》をして、みんなに笑《わら》われる者《もの》もありました。踊《おど》りがすむたんびに、ひんながぱちぱち手をたたいて、
「よいよい。」
とはやしました。
おかしらの鬼《おに》はその時《とき》、さもゆかいそうに高笑《たかわら》いをして、
「あッは、あッは。おもしろい、おもしろい。今夜《こんや》のようなゆかいな宴会《えんかい》ははじめてだ。だがついでにだれか、もっとめずらしい踊《おど》りを踊《おど》って見《み》せる者《もの》はないか。」
といいました。
おじいさんはさっきから、木のうろの中で体《からだ》をこごめながら、それでもこわいもの見《み》たさに、首《くび》だけのばして外《そと》の様子《ようす》をのぞいていました。そのうちに、いったいがひょうきんなおじいさんのことですから、いつかこわいのも何《なに》も忘《わす》れてしまって、見世物《みせもの》でも見《み》ている気《き》で、おもしろがって鬼《おに》の踊《おど》りを見物《けんぶつ》していました。するうちに自分《じぶん》もだんだん浮《う》かれ出《だ》してきて、今《いま》のおかしらの鬼《おに》のいったことばが耳《みみ》に入《はい》ると、自分《じぶん》もひとつ飛《と》び出《だ》して、踊《おど》りを踊《おど》ってみたくなりました。
しかしうっかり飛《と》び出《だ》していって、一口《ひとくち》にあんぐりやられては大《たい》へんだと一|度《ど》は思《おも》い返《かえ》して、一生懸命《いっしょうけんめい》がまんしていましたが、そのうち鬼《おに》どもがおもしろそうに手をたたいて、拍子《ひょうし》をとり出《だ》しますと、もうたまらなくなって、
「ええ、かまうものか。出て踊《おど》ってやれ。食《く》われて死《し》んだらそれまでだ。」
とすっかり度胸《どきょう》をきめて、腰《こし》にきこりの斧《おの》をさして、烏帽子《えぼし》をずるずるに鼻《はな》の頭《あたま》までかぶったまま、
「よう、こりゃこりゃ。」
といいながら、ひょっこりおかしらの鬼《おに》の鼻先《はなさき》へ飛《と》び出《だ》しました。
あんまり出《だ》し抜《ぬ》けだものですから、こんどはおじいさんよりは、鬼《おに》の方《ほう》がびっくりしてしまいました。
「何《なん》だ。何《なん》だ。」
「人間《にんげん》のじじいじゃないか。」
といいながら、みんなはそう立《だ》ちになって騒《さわ》ぎました。
おじいさんはもうすましたもので、一生懸命《いっしょうけんめい》、のびたり、ちぢんだり、縦《たて》になり、横《よこ》になり、左《ひだり》へ行き、右《みぎ》へ行き、くるりくるりと木《き》ねずみのように、元気《げんき》よくはね回《まわ》りながら、
「よう、こりゃこりゃ。」
とお酒《さけ》に酔《よ》ったような声《こえ》を出《だ》して、さもおもしろそうに踊《おど》りました。
だんだん鬼《おに》どももみんな釣《つ》り込《こ》まれて、いっしょに手拍子《てびょうし》を合《あ》わせながら、
「うまいぞ、うまいぞ。」
「しっかりやれ。」
こんなことをいいながら、はちきれそうな大笑《おおわら》いをして、おじいさんの踊《おど》りに夢中《むちゅう》になっていました。
踊《おど》りがすむと、おかしらも感心《かんしん》して、おじいさんに、
「こんなおもしろい踊《おど》りははじめてだ。じいさん、明日《あす》の晩《ばん》も来《き》て、踊《おど》りを踊《おど》るのだぞ。」
といいました。
おじいさんはとくいになって、
「へえへえ、おいいつけがなくともきっとまいりますよ。今晩《こんばん》は何《なに》しろ急《きゅう》なことで、おけいこをして来《き》ませんでしたから、明日《あす》の晩《ばん》までには、ゆっくりおさらいをしてまいりましょう。」
こういうと、その時《とき》右手《みぎて》の三ばんめに座《すわ》っていた鬼《おに》が口を出《だ》して、
「いいや、ああはいっても、その場《ば》になると横着《おうちゃく》をきめて出《で》てこないかも知《し》れません。約束《やくそく》を違《ちが》えさせないために、何《なに》か、しち[#「しち」に傍点]に取《と》っておいてはどうでしょう。」
といいました。
おかしらは、
「なるほどそれはいいだろう。」
とうなずきました。
「それでは何《なに》がいいだろう。何《なに》を取《と》り上《あ》げておいたものだろう。」
と鬼《おに》どもは、わいわい相談《そうだん》をはじめました。
「烏帽子《えぼし》がいい。」という者《もの》もありました。
「斧《おの》はどうだ。」という者《もの》もありました。
おかしらはみんなの騒《さわ》ぐのを止《と》めて、
「いや、何《なに》よりもいちばん、あのじいさんのほおの瘤《こぶ》を取《と》るのがいいだろう。瘤《こぶ》は福《ふく》のあるものだから、じいさんのいちばんだいじなものに違《ちが》いない。」
といいました。
おじいさんは心《こころ》の中《なか》では、「しめた。」と思《おも》いながら、わざとびっくりした風《ふう》をして、
「おやおや、とんでもないことをおっしゃいます。目玉《めだま》を抜《ぬ》かれましても、鼻《はな》を切《き》られましても、この瘤《こぶ》を取《と》ることだけはどうかごかんべん下《くだ》さいまし。長年《ながねん》の間《あいだ》、わたくしが宝《たから》のようにしてぶら下《さ》げている、だいじなだいじな瘤《こぶ》でございますから、これを取《と》り上《あ》げられましては、ほんとうに困《こま》ってしまいます。」
といいました。
鬼《おに》のおかしらはこれを聞《き》くと、
「それ見《み》ろ。あのとおり惜《お》しがっている瘤《こぶ》だ。あれに限《かぎ》る、取《と》り上《あ》げておけ。」
といいました。
手下《てした》の鬼《おに》はすぐそばへ寄《よ》ってきて、
「それ、とるぞ。」
といいながら、ぽきりと瘤《こぶ》をねじ切《き》ってしまいました。でも少《すこ》しも痛《いた》くはありませんでした。
ちょうどその時《とき》、夜《よ》が明《あ》けて、からすがかあかあ鳴《な》きました。
「やあ、大《たい》へん。」
鬼《おに》どもはびっくりして、立《た》ち上《あ》がりました。
「明日《あす》の晩
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