姨捨山
楠山正雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)信濃国《しなののくに》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)八月十五|夜《や》
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一
むかし、信濃国《しなののくに》に一人《ひとり》の殿様《とのさま》がありました。殿様《とのさま》は大《たい》そうおじいさんやおばあさんがきらいで、
「年寄《としより》はきたならしいばかりで、国《くに》のために何《なん》の役《やく》にも立《た》たない。」
といって、七十を越《こ》した年寄《としより》は残《のこ》らず島流《しまなが》しにしてしまいました。流《なが》されて行った島《しま》にはろくろく食《た》べるものもありませんし、よしあっても、体《からだ》の不自由《ふじゆう》な年寄《としより》にはそれを自由《じゆう》に取《と》って食《た》べることができませんでしたから、みんな行くとすぐ死《し》んでしまいました。国中《くにじゅう》の人は悲《かな》しがって、殿様《とのさま》をうらみましたけれど、どうすることもできませんでした。
すると、この信濃国《しなののくに》の更科《さらしな》という所《ところ》に、おかあさんと二人《ふたり》で暮《く》らしている一人《ひとり》のお百姓《ひゃくしょう》がありました。ところがおかあさんが今年《ことし》七十になりますので、今《いま》にも殿様《とのさま》の家来《けらい》が来《き》てつかまえて行きはしないかと、お百姓《ひゃくしょう》は毎日《まいにち》そればっかり気《き》になって、畑《はたけ》の仕事《しごと》もろくろく手がつきませんでした。そのうちとうとうがまんができなくなって、「無慈悲《むじひ》な役人《やくにん》なんぞに引《ひ》きずられて、どこだか知《し》れない島《しま》に捨《す》てられるよりも、これはいっそ、自分《じぶん》でおかあさんを捨《す》てて来《き》た方《ほう》が安心《あんしん》だ。」と思《おも》うようになりました。
ちょうど八月十五|夜《や》の晩《ばん》でした。真《ま》ん丸《まる》なお月《つき》さまが、野《の》にも山にも一|面《めん》に照《て》っていました。お百姓《ひゃくしょう》はおかあさんのそばへ行って、何気《なにげ》なく、
「おかあさん、今夜《こんや》はほんとうにいい月《つき》ですね。お山に登《のぼ》ってお月見《つきみ》をしましょう。
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