くだ》さる観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》に、そしてこの度《たび》東《ひがし》の果《は》ての日本《にほん》の国《くに》の王《おう》さまに生《う》まれて、仏《ほとけ》の教《おし》えをひろめて下《くだ》さるお方《かた》に、つつしんでごあいさつを申《もう》し上《あ》げますという意味《いみ》でございます。
大きくおなりになると、太子《たいし》は日羅《にちら》の申《もう》し上《あ》げたように、仏《ほとけ》の教《おし》えを日本《にほん》の国中《くにじゅう》におひろめになりました。はじめ外国《がいこく》の教《おし》えだといってきらっていた者《もの》も、太子《たいし》がねっしんに因果応報《いんがおうほう》ということのわけを説《と》いて、
「人間《にんげん》のいのちは一|代《だい》だけで終《おわ》るものではない。前《まえ》の世《よ》とこの世《よ》と後《のち》の世《よ》と、三|代《だい》もつづいている。だから前《まえ》の世《よ》で悪《わる》いことをすれば、この世《よ》でその報《むく》いがくる。けれどこの世《よ》でいいことをしてその罪《つみ》を償《つぐな》えば、後《のち》の世《よ》にはきっと幸福《こうふく》
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