いし》は夢殿《ゆめどの》という小《ちい》さいお堂《どう》をおこしらえになりました。そして一月《ひとつき》に三|度《ど》ずつ、お湯《ゆ》に入《はい》って体《からだ》を浄《きよ》めて、そこへお籠《こも》りになり、仏《ほとけ》の道《みち》の修行《しゅぎょう》をなさいました。
ある時《とき》太子《たいし》はこの夢殿《ゆめどの》にお籠《こも》りになって、七日七夜《なのかななよ》もまるで外《そと》へお出にならないことがありました。いつもは一晩《ひとばん》ぐらいお籠《こも》りになっても、明日《あす》の朝《あさ》はきっとお出《で》ましになって、みんなにいろいろと尊《とうと》いお話《はなし》をなさるのに、今日《きょう》はどうしたものだろうと思《おも》って、お妃《きさき》はじめおそばの人たちが心配《しんぱい》しますと、高麗《こま》の国《くに》から来《き》た恵慈《えじ》という坊《ぼう》さんが、これは三昧《さんまい》の定《じょう》に入《い》るといって、一心《いっしん》に仏《ほとけ》を祈《いの》っておいでになるのだろうから、おじゃまをしないほうがいいといって止《と》めました。
するとちょうど八日《ようか》めの朝《あさ》、太子《たいし》は夢殿《ゆめどの》からお出《で》ましになって、
「先《せん》だって小野妹子《おののいもこ》の取《と》って来《き》てくれた法華経《ほけきょう》は、衡山《こうざん》の坊《ぼう》さんがぼけていたと見《み》えて、わたしの持《も》っていたのでないのをまちがえてよこしたから、魂《たましい》をシナまでやって取《と》って来《き》たよ。」
とおっしゃいました。
その後《のち》また小野妹子《おののいもこ》が二|度《ど》めにシナへ渡《わた》った時《とき》、衡山《こうざん》のお寺《てら》を訪《たず》ねると、前《まえ》にいた三|人《にん》の坊《ぼう》さんの二人《ふたり》までは死《し》んでしまって、一人《ひとり》だけ生《い》き残《のこ》っておりましたが、その坊《ぼう》さんの話《はなし》に、
「先年《せんねん》あなたのお国《くに》の太子《たいし》が青《あお》い龍《りゅう》の車《くるま》に乗《の》って、五百|人《にん》の家来《けらい》を従《したが》えて、はるばる東《ひがし》の方《ほう》から雲《くも》の上を走《はし》っておいでになって、古《ふる》い法華経《ほけきょう》の一|巻《かん》を取《と》っておいでになりました。」
と言《い》ったそうでございます。
五
太子《たいし》のお妃《きさき》は膳臣《かしわで》の君《きみ》といって、それはたいそう賢《かしこ》くてお美《うつく》しい方《かた》でしたから、御夫婦《ごふうふ》のお仲《なか》もおむつましゅうございました。ある時《とき》ふと太子《たいし》はお妃《きさき》に向《む》かって、
「お前《まえ》とは長年《ながねん》いっしょにくらして来《き》たが、お前《まえ》はただの一言《ひとこと》もわたしの言葉《ことば》に背《そむ》かなかった。わたしたちはしあわせであったと思《おも》う。生《い》きているうちそうであったから、死《し》んでからも同《おな》じ日に、同《おな》じお墓《はか》の中に葬《ほうむ》られたいものだ。」
とおっしゃいました。お妃《きさき》は涙《なみだ》をお流《なが》しになりながら、
「どうしてそんな悲《かな》しいことをおっしゃるのでございますか。このさき百|年《ねん》も千|年《ねん》も生《い》きていて、おそばに仕《つか》えたいと、わたくしは思《おも》っているのでございますのに。」
とおっしゃいました。けれども太子《たいし》は首《くび》をおふりになって、
「いやいや、初《はじ》めがあれば終《おわ》りのあるものだ。生《う》まれたものは必《かなら》ず死《し》ぬに極《き》まったものだ。これは人間《にんげん》の定《さだ》まった道《みち》でしかたがない。わたしもこれまでいろいろのものに姿《すがた》をかえ、度々《たびたび》人間《にんげん》の世《よ》に生《う》まれ変《か》わって来《き》て、仏《ほとけ》の道《みち》をひろめた。とうとうおしまいにこの日本国《にほんこく》の皇子《おうじ》に生《う》まれて来《き》て、仏《ほとけ》の道《みち》の跡方《あとかた》もない所《ところ》に法華《ほっけ》の種《たね》を蒔《ま》いた。わたしの仕事《しごと》もこれで出来上《できあ》がったのだから、この上|永《なが》く、むさくるしい人間《にんげん》の世《よ》の中に住《す》んでいようとは思《おも》わない。」
としみじみとお話《はなし》をなさいました。お妃《きさき》はなおなお悲《かな》しくおなりになって、とめ度《ど》なく涙《なみだ》がこぼれて来《き》ました。
ちょうどそのころでした。太子《たいし》は摂津《せっつ》の国《くに》の難
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