くだ》さる観世音菩薩《かんぜおんぼさつ》に、そしてこの度《たび》東《ひがし》の果《は》ての日本《にほん》の国《くに》の王《おう》さまに生《う》まれて、仏《ほとけ》の教《おし》えをひろめて下《くだ》さるお方《かた》に、つつしんでごあいさつを申《もう》し上《あ》げますという意味《いみ》でございます。
 大きくおなりになると、太子《たいし》は日羅《にちら》の申《もう》し上《あ》げたように、仏《ほとけ》の教《おし》えを日本《にほん》の国中《くにじゅう》におひろめになりました。はじめ外国《がいこく》の教《おし》えだといってきらっていた者《もの》も、太子《たいし》がねっしんに因果応報《いんがおうほう》ということのわけを説《と》いて、
「人間《にんげん》のいのちは一|代《だい》だけで終《おわ》るものではない。前《まえ》の世《よ》とこの世《よ》と後《のち》の世《よ》と、三|代《だい》もつづいている。だから前《まえ》の世《よ》で悪《わる》いことをすれば、この世《よ》でその報《むく》いがくる。けれどこの世《よ》でいいことをしてその罪《つみ》を償《つぐな》えば、後《のち》の世《よ》にはきっと幸福《こうふく》が報《むく》ってくる。だからだれも仏《ほとけ》さまを信《しん》じて、この世《よ》に生《い》きている間《あいだ》たくさんいいことをしておかなければならない。」
 こうおさとしになりますと、みんな涙《なみだ》をこぼして、太子《たいし》とごいっしょに仏《ほとけ》さまをおがみました。けれど中でわがままな、がんこな人たちがどうしても太子《たいし》のお諭《さと》しに従《したが》おうとしないで、お寺《てら》を焼《や》いたり、仏像《ぶつぞう》をこわしたり、坊《ぼう》さんや尼《あま》さんをぶちたたいてひどいめにあわせたり、いろいろな乱暴《らんぼう》をはたらきました。太子《たいし》はその人たちのすることを見《み》て、深《ふか》いため息《いき》をおつきになりながら、
「しかたがない、悪魔《あくま》を滅《ほろ》ぼす剣《つるぎ》をつかう時《とき》が来《き》た。」
 とおっしゃって、弓矢《ゆみや》と太刀《たち》をお取《と》りになり、身方《みかた》の軍勢《ぐんぜい》のまっ先《さき》に立《た》って勇《いさ》ましく戦《たたか》って、仏《ほとけ》さまの敵《てき》を残《のこ》らず攻《せ》め滅《ほろ》ぼしておしまいになりまし
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