お妃《きさき》はいつものように御殿《ごてん》の中を歩《ある》きながら、お厩《うまや》の戸口《とぐち》までいらっしゃいますと、にわかにお産気《さんけ》がついて、そこへ安々《やすやす》と美《うつく》しい男《おとこ》の御子《みこ》をお生《う》みおとしになりました。召使《めしつか》いの女官《じょかん》たちは大《おお》さわぎをして、赤《あか》さんの皇子《おうじ》を抱《だ》いて御産屋《おうぶや》へお連《つ》れしますと、御殿《ごてん》の中は急《きゅう》に金色《こんじき》の光《ひかり》でかっと明《あか》るくなりました。そして皇子《おうじ》のお体《からだ》からは、それはそれは不思議《ふしぎ》なかんばしい香《かお》りがぷんぷん立《た》ちました。
お厩《うまや》の戸《と》の前《まえ》でお生《う》まれになったというので、皇子《おうじ》のお名《な》を厩戸皇子《うまやどのおうじ》と申《もう》し上《あ》げました。後《のち》に皇太子《こうたいし》にお立《た》ちになって、聖徳太子《しょうとくたいし》と申《もう》し上《あ》げるのはこの皇子《おうじ》のことでございます。
二
さて太子《たいし》はお生《う》まれになって四月《よつき》めには、もうずんずんお口をお利《き》きになりました。明《あ》くる年《とし》の二|月《がつ》十五|日《にち》は、お釈迦《しゃか》さまのお亡《な》くなりになった御涅槃《ごねはん》の日でしたが、二|歳《さい》になったばかりの太子《たいし》は、かわいらしい両手《りょうて》をお合《あ》わせになり、西《にし》の方《ほう》の空《そら》に向《む》かって、
「南無釈迦仏《なむしゃかぶつ》。」
とお唱《とな》えになったので、おつきの人たちはみんなびっくりしてしまいました。
太子《たいし》が六|歳《さい》の時《とき》でした。はじめて朝鮮《ちょうせん》の国《くに》から、仏《ほとけ》さまのお経《きょう》をたくさん献上《けんじょう》してまいりました。するとある日《ひ》太子《たいし》は、天子《てんし》さまのお前《まえ》へ出て、
「外国《がいこく》からお経《きょう》がまいったそうでございます。わたくしに読《よ》ませて頂《いただ》きとうございます。」
とお申《もう》し上《あ》げになりました。
天皇《てんのう》はびっくりなすって、
「どうしてお前《まえ》にお経《きょう》が分《わ》かるだろ
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