》い所《ところ》の名《な》で、その富《とみ》の小川《おがわ》の流《なが》れの絶《た》えてしまうことはあろうとも、太子《たいし》さまの今日《きょう》のお情《なさ》けをけっして忘《わす》れる時《とき》はございませんというのでございます。
さて太子《たいし》は奈良《なら》の京《きょう》へお帰《かえ》りになりましたが、その後《あと》で片岡山《かたおかやま》のこじきは、とうとう死《し》んでしまいました。太子《たいし》はそれをお聞《き》きになって、たいそうお嘆《なげ》きになり、手《て》あつく葬《ほうむ》っておやりになりました。それを聞《き》いた七|人《にん》の大臣《だいじん》が、太子《たいし》さまともあるものがそんな軽々《かるがる》しい事《こと》をなさるとはといって、やかましく小言《こごと》を申《もう》しました。太子《たいし》はその話《はなし》をお聞《き》きになると、七|人《にん》の大臣《だいじん》を呼《よ》び出《だ》して、
「お前《まえ》たちはそんなむずかしいことをいっていないで、まあ片岡山《かたおかやま》へ行ってごらん。」
とおっしゃいました。
大臣《だいじん》たちはぶつぶつ言《い》いながら、ともかくも片岡山《かたおかやま》へ行ってみますと、どうでしょう、こじきのなきがらを収《おさ》めた棺《ひつぎ》の中は、いつか空《から》になっていて、中からはぷんとかんばしい香《かお》りが立《た》ちました。大臣《だいじん》たちはみんな驚《おどろ》いて、太子《たいし》も、このこじきも、みんなただの人ではない、慈悲《じひ》の功徳《くどく》を世《よ》の中の人たちにあまねく知《し》らせるために、尊《とうと》い菩薩《ぼさつ》たちがかりにお姿《すがた》をあらわしたものだろうと思《おも》うようになりました。
六
さてこのことがあってから後《のち》間《ま》もなく、太子《たいし》はある日《ひ》お妃《きさき》に向《む》かい、
「いよいよ、いつぞやの約束《やくそく》を果《は》たす日が来《き》た。わたしたちは今夜限《こんやかぎ》りこの世《よ》を去《さ》ろうと思《おも》う。」
とお言《い》いになりました。
そして太子《たいし》とお妃《きさき》とはその日お湯《ゆ》を召《め》し、新《あたら》しい白衣《びゃくえ》にお着替《きか》えになって、お二人《ふたり》で夢殿《ゆめどの》にお入《はい》りになり
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