波《なにわ》のお宮《みや》へおいでになって、それから大和《やまと》の京《きょう》へお帰《かえ》りになるので、黒馬《くろうま》に乗《の》って片岡山《かたおかやま》という所《ところ》までおいでになりますと、山の陰《かげ》に一人《ひとり》物《もの》も食《た》べないとみえて、見《み》るかげもなく、痩《や》せ衰《おとろ》えたこじきが、虫《むし》のように寝《ね》ていました。お供《とも》の人たちは、太子《たいし》のお馬先《うまさき》に見苦《みぐる》しいと思《おも》って、あわてて追《お》いたてようとしますと、太子《たいし》はやさしくお止《と》めになって、食《た》べ物《もの》をおやりになり、情《なさ》けぶかいお言葉《ことば》をおかけになりました。そして帰《かえ》りしなに、
「寒《さむ》いだろうから、これをお着《き》。」
 とおっしゃって、召《め》していた紫色《むらさきいろ》の御袍《おうわぎ》をぬいで、お手《て》ずからこじきの体《からだ》にかけておやりになりました。その時《とき》、
[#ここから4字下げ]
「しなてるや
片岡山《かたおかやま》に
飯《いい》に飢《う》えて
臥《ふ》せる旅《たび》びと
あわれ親無《おやな》し。」
[#ここで字下げ終わり]
 という和歌《わか》をお詠《よ》みになりました。
「しなてるや」というのは、片岡山《かたおかやま》という言葉《ことば》に冠《かぶ》せた飾《かざ》りの枕言葉《まくらことば》で、歌《うた》の意味《いみ》は、片岡山《かたおかやま》の上に御飯《ごはん》も食《た》べずに飢《う》えて寝《ね》ている旅《たび》の男《おとこ》があるが、かわいそうに、親《おや》も兄弟《きょうだい》もない、かなしい身《み》の上《うえ》なのであろうかというのです。
 するとその時《とき》、寝《ね》ていたこじきが、むくむくと頭《あたま》をあげて、
[#ここから4字下げ]
「斑鳩《いかるが》や
富《とみ》の小川《おがわ》の
絶《た》えばこそ
我《わ》が大君《おおきみ》の
御名《みな》を忘《わす》れめ。」
[#ここで字下げ終わり]
 と御返歌《ごへんか》を申《もう》し上《あ》げたといいます。
 歌《うた》の中にある「斑鳩《いかるが》」だの、「富《とみ》の小川《おがわ》」だのというのは、いずれも太子《たいし》のお住《す》まいになっていた大和《やまと》の国《くに》の奈良《なら》に近《ちか
前へ 次へ
全11ページ中9ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング