《と》っておいでになりました。」
 と言《い》ったそうでございます。

     五

 太子《たいし》のお妃《きさき》は膳臣《かしわで》の君《きみ》といって、それはたいそう賢《かしこ》くてお美《うつく》しい方《かた》でしたから、御夫婦《ごふうふ》のお仲《なか》もおむつましゅうございました。ある時《とき》ふと太子《たいし》はお妃《きさき》に向《む》かって、
「お前《まえ》とは長年《ながねん》いっしょにくらして来《き》たが、お前《まえ》はただの一言《ひとこと》もわたしの言葉《ことば》に背《そむ》かなかった。わたしたちはしあわせであったと思《おも》う。生《い》きているうちそうであったから、死《し》んでからも同《おな》じ日に、同《おな》じお墓《はか》の中に葬《ほうむ》られたいものだ。」
 とおっしゃいました。お妃《きさき》は涙《なみだ》をお流《なが》しになりながら、
「どうしてそんな悲《かな》しいことをおっしゃるのでございますか。このさき百|年《ねん》も千|年《ねん》も生《い》きていて、おそばに仕《つか》えたいと、わたくしは思《おも》っているのでございますのに。」
 とおっしゃいました。けれども太子《たいし》は首《くび》をおふりになって、
「いやいや、初《はじ》めがあれば終《おわ》りのあるものだ。生《う》まれたものは必《かなら》ず死《し》ぬに極《き》まったものだ。これは人間《にんげん》の定《さだ》まった道《みち》でしかたがない。わたしもこれまでいろいろのものに姿《すがた》をかえ、度々《たびたび》人間《にんげん》の世《よ》に生《う》まれ変《か》わって来《き》て、仏《ほとけ》の道《みち》をひろめた。とうとうおしまいにこの日本国《にほんこく》の皇子《おうじ》に生《う》まれて来《き》て、仏《ほとけ》の道《みち》の跡方《あとかた》もない所《ところ》に法華《ほっけ》の種《たね》を蒔《ま》いた。わたしの仕事《しごと》もこれで出来上《できあ》がったのだから、この上|永《なが》く、むさくるしい人間《にんげん》の世《よ》の中に住《す》んでいようとは思《おも》わない。」
 としみじみとお話《はなし》をなさいました。お妃《きさき》はなおなお悲《かな》しくおなりになって、とめ度《ど》なく涙《なみだ》がこぼれて来《き》ました。
 ちょうどそのころでした。太子《たいし》は摂津《せっつ》の国《くに》の難
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