《ち》の上に四|尺《しゃく》も高《たか》く積《つも》りました。その蓮花《れんげ》を明《あ》くる朝《あさ》天子《てんし》さまが御覧《ごらん》になって、そこに橘寺《たちばなでら》というお寺《てら》をお立《た》てになりました。
 またある時《とき》、日本《にほん》の国《くに》からシナの国《くに》へ、小野妹子《おののいもこ》という人をお使《つか》いにやることになりました。その時《とき》太子《たいし》は妹子《いもこ》に向《む》かい、
「シナの衡山《こうざん》という山の上のお寺《てら》は、むかしわたしが住《す》んでいた所《ところ》だ。その時分《じぶん》いっしょにいた僧《そう》たちはたいてい死《し》んだが、まだ三|人《にん》は残《のこ》っているはずだから、そこへ行って、むかしわたしが始終《しじゅう》つかっていた法華経《ほけきょう》の本《ほん》をさがして持《も》って来《き》ておくれ。」
 とおっしゃいました。
 妹子《いもこ》はおいいつけの通《とお》り、シナへ渡《わた》るとさっそく、衡山《こうざん》という所《ところ》へたずねて行きました。そしてその山の上のお寺《てら》へ行くと、門《もん》に一人《ひとり》の小坊主《こぼうず》が立《た》っていました。妹子《いもこ》がこうこういう者《もの》だといって案内《あんない》をたのみますと、小坊主《こぼうず》はもう前《まえ》から知《し》っているといったように、
「和尚《おしょう》さん、和尚《おしょう》さん、思禅法師《しぜんほうし》のお使《つか》いがおいでになりましたよ。」
 といいました。するとお寺《てら》の中から腰《こし》の曲《ま》がったおじいさんの坊《ぼう》さんが三|人《にん》、ことこと杖《つえ》をつきながら、さもうれしそうにやって来《き》て、太子《たいし》の御様子《ごようす》をたずねるやら、昔話《むかしばなし》をするやらしたあとで、妹子《いもこ》のいうままに、一|巻《かん》の古《ふる》い法華経《ほけきょう》を出《だ》して渡《わた》しました。妹子《いもこ》はそれを持《も》って、日本《にほん》へ帰《かえ》ったということです。

     四

 太子《たいし》のお住《す》まいになっていたお宮《みや》は大和《やまと》の斑鳩《いかるが》といって、今《いま》の法隆寺《ほうりゅうじ》のある所《ところ》にありましたが、そこの母屋《おもや》のわきに、太子《た
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