眠る森のお姫さま
ペロー Perrault
楠山正雄訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)願《がん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一|万《まん》

[#]:入力者注 主に外字の注記や傍点の位置の指定
(例)つむ[#「つむ」に傍点]
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         一

 むかしむかし、王様とお妃がありました。おふたりは、こどものないことを、なにより悲しがっておいでになりました。それは、どんなに悲しがっていたでしょうか、とても口ではいいつくせないほどでした。そのために、世界じゅうの海という海を渡って、神様を願《がん》をかけるやら、お寺に巡礼《じゅんれい》をするやらで、いろいろに信心《しんじん》をささげてみましたが、みんな、それはむだでした。
 でもそのうち、とうとう信心のまことがとどいて、お妃に、ひいさまの赤ちゃんが生まれました。それでさっそく、さかんな洗礼《せんれい》の式をあげることになって、お姫《ひめ》さまの名づけ親になる教母《きょうぼ》には、国じゅうの妖女《ようじょ》が、のこらず呼び出されました。その数は、みんなで七人でした。そのじぶんの妖女なかまのならわしにしたがい、七人の妖女は、めいめい、ひとつずつ、りっぱなおくりものを持って来るはずでした。ですから、生まれたときから、お姫さまには、もうこの世でのぞめるかぎりのことで、なにひとつ身にそなわらないものはなかったのでございます。
 さて洗礼式がすんだあと、呼ばれた七人のなかま一同が、王様のお城にかえりますと、そこには、妖女たちのために、りっぱなごちそうのしたくが、できていました。ひとりひとりの食卓《しょくたく》の上には、お皿《さら》や杯《さかずき》の食器《しょっき》がひとそろいならべてあって、それは、大きな金の箱にはいっている、さじだの、ナイフだの、フォークだので、こののこらずが、ダイヤモンドとルビーをちりばめた、純金製《じゅんきんせい》のものでした。
 ところで、みんなならんで食卓《しょくたく》についたとき、ふと見ると、いつどこからやって来たか、たいへん年をとった妖女がひとり、のそのそと広間にはいって来ました。けれどこの妖女は、この席に呼ばれてはいなかったのです。
 というわけは、このおばあさんの妖女は、今から五十年もまえ、ある塔《とう》の中にこもったなり、すがたをかくしてしまって、もういまでは、死んでしまっているか、魔法《まほう》にでもかけられて、なにかかわったものにされてしまった、とおもわれていたからです。
 王様はあわてて、この妖女の前にも、ひとそろい食器を並べさせました。でも、それはもう、大きな金の箱に入れた純金製《じゅんきんせい》のものではありませんでした。なにしろお客は七人のはずでしたから、七人まえのしたくしか、できてはいなかったのです。するとおばあさんの妖女は、じぶんだけが、けいべつされたようにおもって、口の中で、なにかぶつぶつ、口こごとをいっていました。
 そのとき、ほかの若い妖女のひとりが、そばにとなりあわせていて、おばあさんのくどくどいうことばを、そっと聞いていました。それで、このおばあさんが、王女になにかよくないおくりものをしようと、たくらんでいることがわかりましたから、食事がすんで、みんなが食卓《しょくたく》から立ちあがると、そのまま、その妖女は、とばりのかげにかくれていました。それは、こうしてかくれていて、そのおばあさんが、なにをたくらもうとも、じぶんがそのあとに出て、すぐ、そののろいのことばを、うち消すようなことをいって、それをお姫《ひめ》さまへのおくりものにしよう、とおもったからです。
 そうこうするうちに、いよいよ、妖女たちは、それぞれ、お姫さまにおくりもののことばをのべることになりました。なかで、いちばん若い妖女は、お姫さまが世界一美しい人になられますように、といいました。つぎの妖女は、天使のようなおこころがさずかりますように、といいました。三ばんめの妖女は、王女のたちいふるまいの、やさしく、しとやかにありますように、といいました。四ばんめの妖女は、たれおよぶもののないダンスの上手《じょうず》になられますように、といいました。五ばんめの妖女は、小夜啼鳥《さよなきどり》のような、やさしい声でおうたいになりますように、といいました。六ばんめの妖女は、どんな楽器《がっき》にも、名人《めいじん》の名をおとりになりますように、といいました。いよいよおしまいに、おばあさんの妖女の番になりました。この妖女は、さもいまいましそうに首をふりながら、王女は、その手を糸車のつむ[#「つむ」に傍点]にさされて、けがをして死ぬだろうよといいました。
 このおそろしいおくりものは、身ぶるいの出るほど、みんなをびっくりさせて、たれもお姫《ひめ》さまのために泣かないものはありませんでした。そのときです、若い妖女が、とばりのかげから出て来て、とても大きな声で、つぎのようなことばをいいました。
「いいえ、王様、お妃様、だいじょうぶ、あなたがたのだいじなおひいさまは、いのちをおなくしになるようなことはありません。もっとも、わたくしには、この年よりのいったんかけたのろいを、のこらずときほごすまでの力はございません。おひいさまは、なるほど手のひらに、つむをおつきたてになるでしょう。けれどそのために、おかくれになるということはありません。ただ、ぐっすりと、ねこんでおしまいになって、それは百年のあいだ、目をおさましになることがないでしょう。そして、ちょうど百年めに、ある国の王子さまが来て、おひいさまの目をおさまし申すことになるでしょう。」

         二

 王様は、妖女《ようじょ》のおばあさんのよげん[#「よげん」に傍点]したさいなん[#「さいなん」に傍点]を、どうかしてよけたいとおもいました。そこで、その日さっそく、国じゅうにおふれをまわして、たれでも、糸車につむ[#「つむ」に傍点]をつかうことはならぬ。家のうちに、一本のつむ[#「つむ」に傍点]をしまっておくことすら、してはならぬ。それにそむいたものは死刑《しけい》にすると、きびしくおいいわたしになりました。
 さてそれから、十五六年は、ぶじにすぎました。あるとき、王様とお妃様が、おそろいで、離宮《りきゅう》へ遊びにお出かけになりました。そのおるすに、ある日、若い王女は、お城の中をあちこちとかけあるいておいでになりました。するうち、下のへやから上のへやへと、かけあがって行って、とうとう塔《とう》のてっぺんの、ちいさなへやにはいりました。見ると、そこには、人のよさそうなおばあさんが、ひとりぼっちですわっていて、つむ[#「つむ」に傍点]で糸をつむいでいました。このおばあさんは、つむ[#「つむ」に傍点]を使ってはならないという、きびしい王様のおふれを、つい聞かなかったものとみえます。
「おばあさん、そこでなにをしているの。」と、お姫さまはたずねました。
「ああ、かわいいじょッちゃん、わたしゃ、糸をつむいでいるのだよ。」と、おばあさんはいいました。
 このおばあさんは、王女がたれだか、すこしも知らないようでした。
「まあ。」と、王女はいいました。「なんてきれいなんでしょう。それはどういうふうにやるものなの。あたしにかしてごらんなさいな。あたしにもできるかどうか、やってみたいから。」
 お姫さまは、こういって、そのつむを、手にとりましたが、それは持ち方がいけなかったのか、たいへんあわてて、ぶきような持ち方をしたのか、それとも、あのわるい妖女《ようじょ》ののろいのことばが、いよいよしるしをあらわすときになったのか、とたん、つむ[#「つむ」に傍点]は、いきなり王女の手にささって、王女はばったり、そこに倒《たお》れてしまいました。
 人のいいおばあさんは、あわてて人を呼びました。みんな、お城のそこからもここからも、かけ出してきました。お姫さまの顔に水をそそぎかけたり、ひもをといて着物をゆるめたり、手のひらをたたいてみたり、ハンガリア女王の水という薬で、こめかみ[#「こめかみ」に傍点]をもんだり、いろいろにしてみても、王女は息をふきかえしませんでした。
 さて、王様はこのさわぎを聞いて、さっそくかけつけておいでになりました。そうして十五年むかしの妖女《ようじょ》のよげん[#「よげん」に傍点]を思い出しながら、やはりこうなるうんめい[#「うんめい」に傍点]だったことをさとって、お姫さまを、そのまま、お城のなかでも、いちばん上等のへやにつれて行かせ、金と銀のぬいとりをした、[#「、」は底本では「。」]きれいなねだいの上にねかしました。
 ねだいの上に、すやすや眠っておいでになるお姫さまの、美しさといってはありません。それはちいさな天使だといってもいいくらいでした。人ごこちがなくなっていても、生きているとおりの顔いろをしていて、ほおは、せきちく色をしていましたし、くちびるは、さんご[#「さんご」に傍点]をならべたようでした。目こそつぶってはいますものの、かすかに息をする音は聞こえます。それで、王女が死んでいないということがわかったので、まわりについている人たちは、よろこんでいました。
 王様はそこで、やがて人が来て、目をさまさせるまで、しずかにねかしておくようにと、きびしくおいいつけになりました。
 さて、王女を百年のあいだ眠らせることにして、やっと、あやういいのち[#「いのち」に傍点]をとりとめた、あの心のいい妖女は、ちょうどこのさわぎの起こったとき、一|万《まん》二千|里《り》はなれた、マタカン国に行っていましたが、その使っているこびと[#「こびと」に傍点]から、この知らせをすぐうけとりました。そのこびとは、『七里とびの長ぐつ』といって、ひとまたぎに七里ずつあるく長ぐつをはいて、かけて行ったのです。それで、妖女《ようじょ》はさっそくそこを出て、竜《りゅう》にひかせた火の車に乗ると、ちょうど一時間で、王様のお城につきました。
 王様は、お手ずから、妖女を馬車から助けおろしました。妖女は、王様のなさったことを、すべてけっこうですといいました。でも、たいへん先のことのよく見える妖女でしたから、百年ののちに、お姫さまがせっかく目をさましても、この古いお城の中に、たったひとり、ぽつねんとしているのでは、どうしていいか、わからなくて、さぞお困りになるだろうと思いました。
 そこで、なにをしたでしょうか。妖女は、魔法《まほう》の杖《つえ》をふるって、王様とお妃をのぞいては、お城のなかの物のこらず、それはおつきの女教師《おんなきょうし》から、女官《じょかん》から、おそばづきの女中《じょちゅう》から、宮内《くない》官、表役人《おもてやくにん》、コック長、料理番《りょうりばん》から、炊事係《すいじがかり》、台所ボーイ、番兵、おやといスイス兵、走り使いの小者《こもの》までのこらず、杖《つえ》でさわりました。それから、おなじようにして、べっとうといっしょに、うまやでねている馬も、裏庭に遊んでいるむく犬も、お姫さまのねだいの上で眠っているお手|飼《がい》の狆《ちん》までも、みんな魔法の杖でさわりました。
 魔法の杖でさわると、すぐ、たれもかれも、なにもかも、たわいもなく眠りこけてしまって、お姫さまが目がさますまでは、けっして目をさましませんし、お姫さまに用事ができれば、いつでも目をさまして、御用をつとめるはずでした。なにもかも眠ってしまったといって、それはかまどの前の焼きぐしまでが、きじや、やまどりの肉をくしにさしたまま、やはり眠ってしまいました。これだけのことが、みんな、ほんの目《ま》ばたきひとつするまに、できあがってしまいました。妖女《ようじょ》というものは、まったくしごとの早いものですね。
 さてそこで、王様とお妃とは、お姫さまのひたいに、そっと、やさしくほおずりして、お城から出て行きました。そうしておいて、たれもお城に近づくことはならないという、きびしいおふれを、また国じゅうにまわしました。

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