両足《りょうあし》をかけました。そして重《おも》い体《からだ》を器用《きよう》に調子《ちょうし》をとりながら、綱渡《つなわた》りの一|曲《きょく》を首尾《しゅび》よくやってのけましたから、見物《けんぶつ》はいよいよ感心《かんしん》して、小屋《こや》もわれるほどのかっさいをあびせかけました。
それからは何《なに》をしても、文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまが変《か》わった芸当《げいとう》をやって見《み》せるたんびに、見物《けんぶつ》は大喜《おおよろこ》びで、
「こんなおもしろい見世物《みせもの》は生《う》まれてはじめて見《み》た。」
とてんでんに言《い》いあって、またぞろぞろ帰《かえ》っていきました。それからは文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまの評判《ひょうばん》は、方々《ほうぼう》にひろがって、近所《きんじょ》の人はいうまでもなく、遠国《えんごく》からもわざわざわらじがけで見《み》に来《く》る人で毎日《まいにち》毎晩《まいばん》たいへんな大入《おおい》りでしたから、わずかの間《ま》にくず屋《や》は大金持《おおがねも》ちになりました。
そのうちにくず屋《や》は、「こうやって文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまのおかげでいつまでもお金《かね》もうけをしていても際限《さいげん》のないことだから、ここらで休《やす》ませてやりましょう。」と考《かんが》えました。そこである日|文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》がまを呼《よ》んで、
「お前《まえ》をこれまで随分《ずいぶん》働《はたら》かせるだけ働《はたら》かして、おかげでわたしも大《たい》したお金持《かねも》ちになった。人間《にんげん》の欲《よく》には限《かぎ》りがないといいながら、そうそう欲《よく》ばるのは悪《わる》いことだから、今日《きょう》限《かぎ》りお前《まえ》を見世物《みせもの》に出《だ》すことはやめて、もとのとおり茂林寺《もりんじ》に納《おさ》めることにしよう。その代《か》わりこんどは和尚《おしょう》さんに頼《たの》んで、ただの茶《ちゃ》がまのようにいろりにかけて、火あぶりになんぞしないようにして、大切《たいせつ》にお寺《てら》の宝物《ほうもつ》にして、錦《にしき》の布団《ふとん》にのせて、しごく安楽《あんらく》な御隠居《ごいんきょ》の身分《みぶん》にして上《あ》げるがどうだね。」
こう言《い》いますと、文福《ぶんぶく》茶《ちゃ》
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